またまたくっだらない二項対立かと思って開いてみた。
雑誌などの特集で、しばしば、「左脳型人間」や「右脳型人間」といった言葉を目にする。いわく、「左脳型人間は、論理思考に優れている」「右脳型人間は、直観判断に優れている」といった人間観や才能観である。
たしかに、こうした分類は、面白い視点ではあるが、実は、筆者は、こうした「二項対立的」な人間観や才能観は、正しくないと考えている。
なんだよオレと同じ意見じゃないか。タイトル詐欺だ。いや詐欺ではないか。タイトルが内容を表していないミスではある。もうちょっと内容に沿って「左脳型人間と右脳型人間」に何かを付け加えるべきじゃないのか?
サムネイル用。Bing Image Creatorで生成。
同様に、「理系人間」と「文系人間」といった分類も正しくない。筆者自身、理系の原子力工学を専攻した人間であるが、一方、過去30年の間に、社会や人間について、数十冊の本を上梓している。
これも同じ意見じゃないか。
この記事の趣旨はここだろう。
例えば、二項対立的な考えを強く抱いたまま、表面意識で「自分は右脳型人間だから直観力に優れている」という想念を抱くと、無意識の世界には、「自分は直観力は優れているが、論理思考は弱い」という自己限定的な想念が生まれてしまい、その無意識の自己限定が、恐ろしいほどに、我々の才能の開花を抑えてしまうのである。
前にも書いたと思うけど、このように枠にはめる思考法は物事の処理を簡単にできるから、日常生活において割と便利である。なにせ処理が早い。「Aならば〇〇」「Bならば▲▼」みたいな形で決まっているから、すぐに判断できる。あー、書いてた。
別に仕事や技術などの習得に限らないんだけど、「Aは〇〇」「Bは□□」ということを学んだとして、単純にそのまま固定化されてしまう人がいる。物事を単純化したいのかもしれないけど、物事が全て単純なわけではなく正確な情報としては「条件が××ならAは〇〇」「条件が△△ならBは□□」だったりする。
今回の記事の対象は二項対立だけど、二項対立の話を見た時オレの場合は「そんな単純に2つに分けられるわけないじゃん」って思うことがしばしばある。理系・文系もそうだし、オープンシステム対プロプライエタリシステムとか。どっちがいい悪いでもないし、境界も曖昧だったり融合したものが存在したりする。
IT系でいえば、オレが職に就いた頃は垂直統合で全部同じメーカーでシステムを構成する形が一般的だった。いわゆるプロプライエタリである。例えばオレが担当した今は亡き某証券会社だと、メインの取引システムはA社で統合、情報系はB社で統合、端末を両方用意するのは面倒なので社内ネットワーク的にはB社のLANに合わせて取引システムのやりとりを変換・中継する仕組みを持たせて端末は一つみたいな感じになっていた。証券会社独自にネットワークプロトコル作ったりするから、ハードウェア・ソフトウェともにネットワーク周りが全部専用開発品になって調達コストが高いままになるというバカな感じで、それが倒産の一因(システム運営コスト高)にもなってたけど。
その後、オープンがいいんだUNIXだWindowsだみたいになって、メーカー単位の垂直統合がある意味否定的に捉えられるようになった。
でも、新規システムならフルにオープンシステムにできるけどそんな簡単に今までのシステム資産を破棄できてオープンシステムのみに短期でフル移行できる大手企業なんてほぼ存在しない。現実問題として周囲に作るサブシステムはどんどんオープンシステムで安く開発する一方、既存のプロプライエタリな垂直統合されているメイン系システムは、長い期間を掛けて徐々にオープンシステムっぽい形に持っていくということになる。
こないだトラブった全銀ネットも、そのように時間を掛けて変えてきていることが今回のトラブルを機に明らかになった。
で、出てきたのがCOBOLに親を殺された奴ら。COBOLは垂直統合・プロプライエタリの象徴であり今時COBOLなんか使っているから叩いていいんだ的な。バカか。
結局今回の障害発生理由にCOBOLは全く関与が無かったけど、COBOLに親を殺された奴らは多分反省していない。
話題を転換するけど、このような二項対立に当てはめて処理しようとする人間が多い件、小学校からの学校教育にあるのではないかと思っている。
この文を読んでいる人は義務教育卒業後だろうから、リアルタイムの経験ではないので昔を思い出してみて欲しい。「考える」「考え方を学ぶ」より「知識を覚える」「知識の使い方を身に付ける」の方が多かったのではないか。繰り返しA=BならばA=Cではないを反復してラーニングしている。「反復は力」とか、どこかの受験塾講師が言いそうである。
確かにベースとなる知識が無ければ先には進めない。例えば1桁の足し算が分からなければもっと桁数の多い足し算はできないわけで、1桁同士の足し算、桁上がりみたいに順を追って覚えていくことになる。ここには「考える」「考え方を学ぶ」の入る余地は無い。なんで1+1は2なんだろうとか考えるのはもっと別のフェーズであって小学一年生がやることではない。でも、高校までずーっとこの延長線上が多く、しかもテストなどでも知識と知識の使い方の習熟度を問う問題がメインとなりがちである。お受験関係を別にすれば。
このように学んでくると、考えずに処理する方が楽なのでそちらに軸足を置きがちとなる。単純に二項対立に乗ったほうがラクだし。右脳型人間、左脳型人間って言われるとオレみたいに「そんな単純に二分できねえよ」って人間よりは「自分は右脳型だな〇〇という特徴が当てはまるし」「あー自分は左脳型だな」みたいに二項対立に乗ってしまう。
二項ではないけど、血液型占いとか星座占いとかもその流れである。多少分ける項目が多いだけで。いや、A型だったら真面目とかきちんと統計情報出してから言えと。お遊びならいいけどこのような単純化する処理パターンが元記事の言う
例えば、二項対立的な考えを強く抱いたまま、表面意識で「自分は右脳型人間だから直観力に優れている」という想念を抱くと、無意識の世界には、「自分は直観力は優れているが、論理思考は弱い」という自己限定的な想念が生まれてしまい、その無意識の自己限定が、恐ろしいほどに、我々の才能の開花を抑えてしまうのである。
に当てはまってしまう。
オレみたいにひねくれているから二項対立に簡単に乗らないということではなく(自説を通す狙いがあってあえて乗ることはある)、まず「際(きわ)は?」と疑って見ることが必要であろう。