いろいろやってみるにっき

てきとーに生きている奴の日記

古いエントリのサムネイル画像がリンク切れになってたりするけど、チマチマ修正中


愛車遍歴 ―その3―

その3はその2で書き忘れた3台目のエピソード1つと、4台目について。また長い。

 

 

ブルーバードSSS ATTESA Limited 4ドアハードトップについて、一つエピソードを書き忘れてた。というか公開してから思い出した。

この日である。

 松井秀喜5打席連続敬遠(まついひでき5だせきれんぞくけいえん)は、1992年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の明徳義塾高等学校(高知)対星稜高等学校(石川)戦にて、明徳義塾のエース・河野和洋が星稜の4番打者・松井秀喜に対し、「5打席連続で敬遠する」という出来事。

 この日は夏休みで帰省中、お盆休みということで父母と一緒にロングドライブに出た。八戸道→東北道で大鰐・弘前ICから十二湖を目指した。決して十三湖を目指して十二湖に行ったわけではない。

なお、Wikipediaによれば31の池があるw

 

お盆休みとは言え青森県である。道路もほぼ渋滞無く十二湖もほどほどの賑わい、無事に十二湖を見ることができた。帰りはどうしようかという話になり、昼食がまだだったので秋田市方面に向かいながらまず昼食を食べようということに。父の「うまそうな食堂あるはず」情報である。国道101号線秋田市方面に向かうと、秋田県に入ったところで海側にいい感じの食堂というかドライブインというか、そういう飲食店があった。そこで食べたイカ刺定食は絶品だった。今まで食べたイカ刺しの中で一番である。そういえば、やはり父母を乗せて青森方面にドライブした時も、みちのく有料道路出口近くで今まで生きてて一番という蕎麦を食うことができた。

 

旨い昼飯が終わると、今度は母が田子町の豆腐屋に行きたいということで、帰りは国道7号線国道104号線などを通りながら田子町へ。後部座席だと音楽うるさいという後部座席に座る父のリクエストによりラジオで高校野球。オレ、高校生が年下になってからは全く高校野球に興味がないのだが、その2にも書いたようにスーパーウーファーが入っているので音楽うるさいといわれても仕方ない。そこで起きたのが松井の5連続敬遠である。田子町で硬い豆腐(と母が呼称している)を買い実家に戻った。

今思い起こすとオレの車で父母揃って連れてオレの運転で行った、最もロングなロングドライブである。八戸は太平洋側なので、十和田湖八甲田山はよく行くのだがその先はあまり行かない。日本海側の津軽地方は八戸と同じ太平洋側の恐山よりも行かないし、岩手県の盛岡方面や三陸海岸よりも行かない。

 

ということでようやく4台目。Audi A4 1.8Turbo Quattroである。長いのでA4 1.8TQとする。左ハンドルで5速マニュアル。この車は左ハンドルで5速マニュアルだけ。B5という世代である。

色はシルバー。直列4気筒5バルブエンジン。トータル20バルブで150ps。ブルーバードの205psよりも45psダウン。

 

まずこの車にしたいきさつ。北京からの帰国便、いつもギリギリまで機内サービスの酒を飲んで日本からの新聞雑誌を読み、機内プログラムで落語を聞く。なにせ通常は2週間は北京にいるので、今のようにネットが無い頃だったので日本の情報はホテルで見ることができるNHK-BSくらいである。新聞は読みたい。そんなわけで新聞を読んでいると広告欄にAudi A4にQuattroモデル追加と出ている。その時点でAudiが80/90を終了させA4シリーズを出したのも知らなかったが、目に留まったのはQuattroモデルの追加である。昔、Audi 90 Quattroが欲しかった。お金が足りな過ぎて検討すらしなかったが。いいなあとは思ってた。ところが広告を見るとA4 1.8TQは手が届く金額である。というのもこの北京、他の中国出張によって個人的バブルが到来していたからである。

オレが出張に出ていた頃の規定では出張手当が今よりも充実、定額で出るホテル代も今より手厚い。明らかにオレたちみたいに2週間とかを出張ベースで行くような事態は想定していない規定だった。数日で動くならこれくらいないとという金額が規定額だったのだが、長期滞在でホテル代は割引させることができていて、差額で昼夜の食事代を他人の分まで払ってもまだ余る。このプロジェクトで中国と行き来している間は、給料手つかずである。まずそれを持って過去エントリの通りに奨学金の一括返済を実施。そして貯金も増えていく。それが原資である。 

 

当時はネットが普及前なのでその新聞広告でディーラーまでしっかり見た。ブルーバードが止まったガソリンスタンドと、そんなに離れていないところにファーレン町田というディーラーがあることを確認。あれ?そんなところにあったっけと思ったが、後で聞いてみるとダイハツのディーラーがVW/Audiのディーラーに手を挙げたということだった。確かに隣にダイハツである。そして今は全部ダイハツに戻っている。帰国翌日にはファーレン町田へ。まだ日本に入っていないので試乗もせずに購入予約。9月だったと思う。

 

Audi A4 1.8TQ購入時、比較対象の車は無し。ブルーバードでますます4WDへの信任は厚いし、もともとQuattroシステムはAudi Quattro/Audi Sport QuattroなどWRCで活躍していて好きな車だった。買えるとは思っていなかった。上にも書いたようにAudi 90 Quattroでさえ買える車としては見ていなかった。その2でフォード・エスコートRSコスワースなら買ってもいいとディーラーで回答した件を書いたが、特にブルーバードの買い替えを考えていなかった。本当に新聞広告を見て急に欲しくなって買った車である。

 

1.8TQはワングレードなので特に何も選べない。色は本当は2.8 Quattroなどにあったワインレッド系の色が良かったのだが、1.8TQでは選択できず。日本語版のWikipediaは貧弱なので英語版のWikipediaを貼る。

f:id:shigeo-t:20200225083019p:plain

f:id:shigeo-t:20200225083106p:plain

こんな色、日本には無かったぞ。オレがカタログを見てた時点では。

あと、A4の一番好きな部分はこのお尻である。新聞広告で見た時に惹かれたのもこのテールランプ周り。写真に写っているが、標準のホイールは軽いという利点と、あんまりデザイン的にはパッとしないという欠点がある。

 

購入できたのは11月だった。多分、日本に入った第一便くらいな感じ。ブルーバードの処分は過去に書いた通り。スタッドレスタイヤを座席に詰め込み八戸まで。八戸から盛岡までは送ってもらって新幹線で東京まで。


Audi A4 1.8TQを手に入れて最初にやったのは慣らし運転。なにせ初の左ハンドル。そして久しぶりのマニュアル。実家に帰った時に軽トラとかでは乗っていたが、左右異なる。まずシフトしようとして左手でシフトレバーを探しに行くこともあった。オレも車に慣れる必要がある。運転席の左側はドアなのでシフトレバーは無い。一般道だと落ち着かないので、高速道路でゆったり走って距離を稼ぎつつ慣らし運転をすることに。

当時、こんなビデオカメラ 液晶Joy&free『はなれワザ』 VM-H100Lを持っていたので

News Release -- 5/17

http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/9505/0517.gif

 三脚を助手席に立ててシートなどに固定してまだ暗い早朝にスタート。なお、このビデオカメラは今は弟のところにあるはず。捨ててなければ。この慣らし運転で撮ったHi8のテープはどこにあるかわからない。この時の数本だけは捨ててないはずなんだけど(他は確実に捨てた)、再生できる機器は無い。

 

中央道八王子ICから中央道へ。夜明け前で道路は空いていてゆっくり走るのにちょうどいい。定速80km/hで回転が上がらないように走行。小淵沢ICを過ぎたあたりで日の出。日の出のタイミングでワルキューレの騎行に。

諏訪湖SAで最初の休憩。ちょっとなんか食べた。蕎麦好きなので多分天玉そば。そしてそのまま進み小牧JCT東名高速に折り返し。上りの東名もまあまあの交通量。上郷SAで給油。このあとはゆっくり80km/hで距離を稼ぎ横浜町田ICで降りた。当時はETCが無い。料金所のおばさんに「ご苦労様」って言われたww八王子ICから横浜町田ICだものwそりゃご苦労様だわ。この慣らし運転のおかげで車両感覚もつかめたし左ハンドル5速マニュアルにも慣れた。

 

この車でもスタッドレスタイヤを購入。ブルーバードの時は鉄ホイールだったが、アルミホイールにヨコハマのGUARDEX。標準のホイールよりも重かったが鉄ホイールよりは軽い。実家への帰省時に大活躍。パワーは無いけど扱いやすいエンジンなので、雪道ではオートマチックトランスミッションのブルーバードよりも走りやすい。東北道で盛岡よりも北の山間部は吹雪とかになるとちょっとヤバいくらい見えなくなったりするが、安定した車で助かった。

 

標準で付いてきたタイヤはミシュランパイロットスポーツシリーズ。おかげであの白い生き物の名前がビバンダムということを知ることができた。

ビバンダムの偉大なる世紀

ビバンダムの偉大なる世紀

  • 作者: 
  • 発売日: 1997
  • メディア: ハードカバー
 

 この後、スタッドレス以外は車が変わっても全部パイロットスポーツシリーズ。とにかくいいタイヤである。ケースというかサイドウォールがしっかりしている。その1で書いたように高級タイヤの車に乗るバイトをしていたが、もうレベルが違う。

 

一番遠くに行ったのは、奈良の母の友人宅を中心に数日間、京都・大阪・奈良を走ったこと。母の友人はオレの小学校時代の同級生のお母さんなのだが、旦那さんの都合で転勤族。オレたちは学校が変わってからは音信不通だったのだが母と母の友人はずっと付き合ってた。当時は奈良市在住。連れてけという母の無茶振りに、少ない夏休みの間、京都だ大阪だ奈良だとあちこち走った。

某有名なお寺の一番偉いお坊さん(こういう書き方をしないと役職名で寺を特定できると思う)の運転手を一日務めたのも思い出。奈良県下のいくつかのお寺を廻るということで、オレのA4であちこち行った。もちろん母と母の友人も乗せて。最後に頂いた言葉は

  「人間嫌いを直せ」

だった。当たってるww。慇懃過ぎ、韜晦し過ぎたのかもしれんwwwあれ?ガソリン代も貰ってないぞw。まあ、一人で有名な絵を見させてもらったからガソリン代以上のお返しは頂いているけど。これ書いたらどの寺かわかる人にはわかるか。

評伝・SFの先駆者今日泊亜蘭―“韜晦して現さず”の生涯

評伝・SFの先駆者今日泊亜蘭―“韜晦して現さず”の生涯

 

 

この後、川崎市あたりの勤務が増え、A4 1.8TQとともに横浜の保土ヶ谷区の山の途中に引越し。マンションの駐車場で最初割当てられた場所は、マンションと隣の家の間を抜けて停める駐車場だった。ところがそこの入口、最も狭い部分はA4 1.8TQの幅プラス20mmくらいしかない。しかも両側ともにコンクリート。その狭い部分が1mくらい続く。ちょっとでも車の向きが悪いとこすりそう。というかこすった。マンションの道路側にも駐車場があるので、空いたらそっちに変更ということでしばらく待った。出し入れするたびに冷や汗をかくのはちょっとしたプレッシャーである。道路側の駐車場は坂の途中なので水平ではないのだが、背に腹は代えられない。

 

この車にしてから初めて実家に帰省した時、八戸ではまだほとんど走っていないのに小学生とかが全然注目してくれなかった。時代が変わったことを実感した。オレが子供の頃はちょっとでも変わった車が走っていたらガン見だったのに。

 

この車では途中でナビを導入した。しかし市販のナビではなく、PCのナビアプリである。VAIO C1系にSONYのNavin' Youである。

Windows 98は今のWindows 10にくらべるとよくハングする。それでも各区ごとの地図を見ながら走るよりも脇見が減って安全になった。

VAIO C1をグローブボックスに埋めこんでGPSアンテナをダッシュボードに付け、音声ナビ。電源はインバータで100Vを作った。

知らない場所に行くときは楽になったが、なにせWindows 98。準備に時間が掛かるし、たまに走行中にハングアップしてたりする。携帯電話にナビアプリが乗るようになると、時間が取れる時だけこのPCナビを使うように。 

 

最後のエピソードはしょうもないやつ。2000年のゴールデンウイークに帰省した時。タバコを辞めた。帰る途中のSAでタバコが無くなりそうなので購入、でもめんどくさくなってやめた。こないだの引越しまではその残り2箱を記念に取っておいていた。

A4 1.8TQではマニュアルということもあり、車内では吸わなくなっていた。元々車に乗っていない時もそんなに本数は吸わなかったのだが、タバコ買うのがめんどくさい、吸える場所を探すのがめんどくさい、自宅とかで吸うと片付けるのがめんどくさい。それで一箱買ったのに急にやめた。というわけで、オレは20世紀中にタバコをやめている。今まで一回しか禁煙したことがない。

 

このA4 1.8TQも5年強、6万km強乗った。乗換に際しては候補2の車に乗り換えることに。続きはいずれ。 

お時間あったら、他のエントリもクリックして頂ければ幸いです。