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てきとーに生きている奴の日記

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父は女子高出身

首都圏などの大都市圏はともかく、この少子化の時代、女子高っていうのは難しいのかもしれない。

 

www.hokkaido-np.co.jp

 

オレの出身である青森県はどうなってるんだろうと思って調べてみた。

ja.wikipedia.org

1996年度以降、公立校はすべて男女共学である。男子校は2019年現在、公私立を問わず設置されていない。女子校は、2019年4月に弘前市の柴田学園高校が共学化したため、八戸市千葉学園高校のみとなっている。

 

確かに男子校は聞いたことが無かった。あと、オレが小中高で八戸にいた頃、公立私立を合わせて複数の女子高があった。引用しないが、かなり閉校予定の学校がある。

 

なお、オレのMS-IMEは変換すると男子校・女子高である。なんでだ。そのまま行くけど。

 

実はオレの父も女子高出身である。現在は上記の通り共学になっているが。

ja.wikipedia.org

 

上にも書いた通りオレが小中高の時には複数あった女子高の一つだった。

  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校青森県立八戸女子高等学校」が発足。
      • 通常制普通課程を設置。修業年限を3年、定員を600名とする。
      • 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校を継承し(名称:青森県立八戸女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に入学した3年生のみとなる。
    • 5月5日 - 開校式を挙行。
  • 1949年(昭和24年)
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 「青森県立八戸東高等学校」(現校名)に改称。徽章と帽章を制定。
  • 1951年(昭和26年)11月10日 - 創立50周年を記念して校歌「光あり」を制定。
  • 1952年(昭和27年)
  • 1957年昭和32年)4月1日 - 百石分校が分離し、青森県百石高等学校として独立。
  • 1959年(昭和34年)
    • 3月31日 - 定時制普通課程を廃止。
    • 4月 - 男子の募集を停止。男子の在籍が0となり、女子校となる。
    • 12月31日 - 寄宿舎を廃止。

中略する。

  • 1995年(平成7年)
    • 3月30日 - 第一運動場に仮設校舎(管理・特別教室棟)が完成。
    • 4月1日 - 人文科を1学級新設し、男女あわせ募集を行い、36年ぶりに再び男女共学となる。

 

父は1938年(昭和13年)1月1日生まれなので、入学時は共学である。入学は多分1954年(昭和29年)、卒業は1957年(昭和32年)だろう。父に聞いたことがあるが、父が入学の時点では男子はかなり少なかったらしい。そりゃ、父が卒業後2年で女子高に戻るのは既定路線だろう。

 

その後再び36年間女子高だったし、当時は今みたいにWikipediaとかで簡単に調べることもできない。我々の世代は共学時代が10年あったことも知らない人のほうが多かった。また、我々の親世代なら知っていたかもしれないが、さらにその上の世代になると昔は女学校って呼ばれていた時代に生きていたのでやっぱり知らない人が多い。

 

となると、中2くらいになって進学先の話とかになると親の出身校みたいな話も出る。そうなれば、オレのネタ炸裂である。女子高出身の親父持ちは結構ウケる。

 

という取り留めのない話である。もう共学に戻って27年、ウケる話ではない。でも、こうやって他校の歴史が分かるのは面白い。まさか親父が川端康成の奥さんの後輩だったとは。

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