いろいろやってみるにっき

てきとーに生きている奴の日記

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愛車遍歴 ―その2―

 今回は3台目の1台について。やはり記憶が新しい方が書くこと多い。ちょっと長い。

 


 3台目はU12後期型 ブルーバードSSS ATTESA Limitedの4ドアハードトップのブラック。SR20DETターボモデルなのでネット205psでAE86グロス130psより大幅に馬力アップ。初の新車購入である。

 

4WDなので冬でも実家への帰省は車で帰れるように。AE86の時はスタッドレスタイヤを買わなかったし、チェーンでスキーに行ってケツ振りまくって大変だったのだがATTESAとスタッドレスで安定して走れるようになった。当時はまだ東北新幹線が八戸まで開通していなかったので、車のほうが圧倒的にラクだった。

このブルーバードSSS ATTESA Limitedを選んだのは、AE86トレノだと山坂道を走るのは楽しいけど、スキーに行くのは大変だし冬場の帰省には使えないし(使えないことは無いが大変)、4WDだろというわけ。タイミング的には当時すごく良い車とされていたプリメーラにも4WDがあり、パルサーGTI-Rは発売前。あと、セリカGT-FOUR、ファミリアGTR、レガシー、ギャランVR-4と4WDスポーツモデルもあった。パルサーは待てないので最初に脱落。セリカは高過ぎて脱落、プリメーラはターボモデル無しで脱落。ファミリアは安いのとハッチバックはお尻がかわいいので最後まで残った。レガシーとギャランはスタイルが好みでは無かった。結局、総合的な評価でブルーバードになった。最後の決め手はウルフガイシリーズである。主人公の乗る車はブルーバードSSSである。

狼男だよ アダルト・ウルフガイ・シリーズ (NON NOVEL)

狼男だよ アダルト・ウルフガイ・シリーズ (NON NOVEL)

 

あと、オレが落選させたギャランVR-4は後に弟が長年乗ってた。

 

 なお、この車だけは自分で購入した車の中で唯一のオートマチックトランスミッション。なんでオートマチックにしたかというと、一番の理由は横置きエンジンだから。前回書いたようにソアラでオートマチックは経験済ということと、同じくバイトで乗った車などで横置きエンジンのマニュアルトランスミッションを操作した時、

  「なんだこのシフトフィールは?」

と愕然としたこともある。横置きエンジンのマニュアルは高い車は知らないけど、当時のこのくらいのクラスの車はワイヤーなので確かにシフトフィールは良くない。ということでそこでイラっとするくらいならオートマチックでいいやということになった。相変わらず横浜までテニス部の練習に行っていたので、渋滞にはまった時にオートマチックって楽だなと思った。

あと、横置きが嫌ならレガシー買えよというのはまあその通りである。

 

見た目だが、フロントは前期型が好み、リアは後期型が好み。ドノーマルで乗っていたのでフロントを改造とかはしなかった。

 

この車では当初CDウォークマンを使っていたのだが、少しお財布に余裕ができた時に12連装のCDチェンジャーも付け、ついでにスーパーウーファーも助手席下に。

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そうそう、ボディカラーは違うけどSSS ATTESA Limitedのホイールはこのガンメタだった。オレの場合は毎回夏用タイヤとスタッドレスタイヤでホイール付け替えが面倒だったので、夏用タイヤはこの純正ホイール、スタッドレスタイヤには鉄ホイールタイヤを付けていた。スタッドレスタイヤに鉄ホイールが付いているので自分でタイヤ交換していた。交換の時はアルミホイール軽いな、鉄ホイールって重いなとは思った。

 

この写真ではスキーキャリア付いてるけど、この頃ほとんどスキーキャリアとか見掛けなくなった。本当にスキー人口減っているんだろうな。SSS ATTESA Limitedではよくスキーにも行った。寮にいる時は後輩と日帰りで猫魔スキー場とかに行ったりとかしてた。

 

葛西の寮にいる時に購入したが、その後バブル崩壊により今も存在する中堅証券会社対応の仕事が無くなりオレは常駐解除、残業も無くなった。残業代も含めて手取り計算していたため、社内預金と財形貯蓄の積み立て分を差っ引くと手取り2万円台が数か月続き、この車のローンはシャレにならなかった。

 

その後、今は亡き準大手証券会社対応になり、なんとか車を売らずに済んだ。その後その今は亡き準大手証券会社の仕事も無くなり今は合併で名前が消えた中堅損害保険会社対応に。しばらくは葛西から通っていたのだが、江戸川区から東京23区横断のような通勤経路だったこともあり、空きの出た武蔵境の寮に移った。車もそのまま移動。相変わらず横浜までテニス部の練習に行っていたのだが、葛西よりも高速使えない分時間が掛かるように。

 

続いて大手生命保険会社対応に変わったことで、武蔵境から通勤できる場所ではなかったので玉川学園前のアパートに引っ越した。大学4年生以来の一人暮らし。車もそのまま移動。相変わらず横浜までテニス部の練習に行っていたのだが、保土ヶ谷バイパスとか使えるようになったし、町田市は東京都だけど横浜市にも隣接していてだいぶ近くなった。

 

この車の最大の思い出は、夏休みに実家に帰省するとき。早朝家を出て混む前に外環道→東北道→八戸道というルートで帰ろうという作戦。ところが家を出て2kmくらいでなんか車が進まない。3kmくらい進んだところで電気が落ちた。まず2kmくらいでカーステレオ関係がなんか怪しい。そこでまずカーステレオを停止。そのうちノッキングが激しくなる。そして停止。完全に電気系だなとは思った。インジェクション動かないと、燃料噴射されないもんな。スパークプラグから火花も飛ばないけど。

 

ヘッドライト点けっぱなしでもなかったし、寒くてバッテリー上がりするような季節でもないし、家を出た時はいつも通りスムーズにエンジンは掛かった。幸い営業開始前のガソリンスタンドの10m手前くらいだったので、ニュートラルに入れて押してスタンドに押し込んだ。幸い黄色と黒のロープだった。チェーンとかの金属だったら押し込むのに躊躇したと思う。コレ、標識ロープとかトラロープとか呼ぶのね。

ユタカメイク 標識ロープ 9mm×20m YEB920
 

 で、近くのコンビニで買い物したり実家に「帰れない」コールしたりして開店を待った。携帯電話普及前だったので公衆電話はコンビニなら確実にあったというのもある。

 

ガソリンスタンドが8時に開店して充電してもらったのだが、スタンドのおじさんの見立てでは、

  「夏場に、ヘッドライト点けっぱなしとかでもなく、こんなにすっからかんになるはずがない。発電できてないかもしれないからディーラーに見てもらった方がいい」

というものだった。帰れないコールしたこともあり、一度家に戻り荷物を降ろし、最初のガソリンスタンドとは逆方向の日産ディーラーへ。途中また怪しくなってきたので、別のスタンドで充電してもらいなんとかディーラーに辿り着いた。辿り着いたのはいいのだが、この時期はお盆休みの期間。ショールームは営業中だけどサービス工場は夏季休暇中。この夏休みは帰省は諦めた。そして、預かってもらった車はサービス工場の夏季休暇明けに見てもらうとガソリンスタンドのおじさんの見立て通り発電できていなかった。オルタネーター交換である。

なおこの日産のディーラー、隣でフォードディーラーもやってた。待ってる時にショールームのお兄さんに買い替えを勧められたりしたけど、エスコートRSコスワースなら買ってもいいって会話をした思い出がある。  

4代目エスコートに4WD仕様はなかったものの、シエラ・サファイアRSコスワース4×4の4WDコンポーネンツを、エスコートの小さなエンジンルーム内に収納し、良好な重量配分を得ている。小さなエンジンベイに縦置きに搭載されたコスワースYBTエンジンは排気量1993cc、直列4気筒の鋳鉄製ブロック。これにコスワースが開発したDOHC4バルブヘッドとギャレット製大径ターボとの組み合わせによって、最高出力227馬力、最大トルク30.4kgmを発生。足回りはシエラ・RSコスワースと同様にフロントはマクファーソン・ストラット、リアはセミトレーリングアームを採用した。

市販モデルは1992年にヨーロッパで発売され、グレードはサンルーフ、パワーウインドウなどを備えたラグジュアリーと、競技仕様のスタンダード(受注生産)の2タイプ。

(中略)

日本ではフォードによる正規輸入はないものの、1993年に日本人初のWRCワークスドライバーとしてトヨタからサファリラリーに出場した岩瀬晏弘が運営するオートスポーツイワセなどによって直輸入された。

というわけで、正規輸入が無い車をディーラーから買えるわけもなく、セールスのお兄さんは苦笑しながら撤退。

 

2番目の大きな思い出は、東北道佐野付近で今流行りの煽り運転に遭遇。栃木ナンバーの白のX80系チェイサーだった。X80系はついこないだJPN TAXIに切り替わるまでコンフォート、クラウンコンフォートとして売ってたやつである。クラウンっぽく見えて実はマークⅡ系というのは割とどうでもいい情報である。

片道3車線ある佐野付近の東北道。Uターン時期なのでそこそこ車は走っていたが、まだ昼過ぎで渋滞は川口ICで数kmぐらい、佐野あたりはまだ順調に流れていた。そんな中、追い越し車線がやたらと遅い。追いついてみると80km/hで追い越し車線を走る白のチェイサー。パッシングをしたがどかない(追いつかれたら走行車線に戻らなければ違反)ので、第2車線が空いた隙に左から抜いた。まあ、これでオレも違反なんですけどね。そしたらパッシング、クラクション連打でピッタリ張り付いてくる。おまえはゆっくり走るんちゃうんかいと思ったが、今思えば煽り運転したくて獲物を待ってて、パッシングしたのがオレだったということだろう。オレの車を無理やり左から抜いたかと思うと追い越し車線なのに停止。そしてドアを開けて降りてくる。オレも徐行。後ろは幸い少し離れている。左は空いていなかったが、幸い中央分離帯まで車一台通れるくらいの余裕あり。開いているチェイサーのドアに当たったらそれでもいいやと、そこからフル加速で逃亡。また車に乗って追いかけてくるも、少し間が空いたので左側2車線、トラックやトレーラーが並んで走っているところでうまく隠れてやり過した。その時思ったのは、

チェイサーだもんな

である。名前通りである。なお、後ろから見てたけどその後も色々他の車に煽り運転してた。トラックやトレーラー煽るんじゃねーよ。

 

この時ではないが、やはり佐野IC付近で栃木ナンバーのディアマンテに煽られたこともある。前詰まってるんだからオレの車煽っても仕方ないだろ。

 

オレの東北道栃木県エリア嫌いはここから来ている。磐越道常磐道に繋がってからは常磐道経由で東北道栃木県エリアを通らないコース取りとなった。最初は片側1車線区間が多くて大変だったが、東北道栃木県エリアを走るアタマオカシイ地元ナンバーを相手にするよりはいい。


3番目は納車の日。大雨、しかも夏休みで帰省する日、雨の中車内のビニール剥がしをし、横浜在住の同じ青森県出身の同僚2名に葛西まで来てもらって出発。買い替えていなかったら足元ずぶ濡れだなあと思った。AE86買い替えのきっかけはその1で記載の通り、床下からの浸水。雨で流れが遅いこともあり、慣らし運転にちょうど良かった。

 

4番目は事故。夕方から大阪出張のある土曜日、雨で昼なのに暗かった。ちょっと靴を買おうと車を出していた。こちらは直進、右折車に突っ込まれた。黒い車なので雨とかで暗い時はライトを付けていたが、じいさんには見えなかったらしい。新大橋通り三ツ目通り四ツ目通りとの交差点、葛西に向かう途中。新大橋通りは今通っても変わっていないと思うが路駐が多かった。その路駐車を避けて片側2車線の右車線に出て交差点に入ろうとしたところでADバンに突っ込まれた。なぜか落ち着いていて、サイドブレーキ引きながら左にフルステア。ブルーバードはバンパーが少しへこみ、フォグランプが割れたくらい。交差点近くの交番で雨宿りしながら警官を交えて会話したが、じいさんは信号が右折矢印だったと主張したが、こちらは青信号を主張。保険会社が入った結果、負担割合4:6で妥結。事細かに資料作成できるのはこちらなので、右直事故だしこんなものでしょう。

 

 そんなこんなで、このブルーバード SSS ATTESA Limitedはトータル6万kmくらい乗った。5年超である。

 手放したのは町田に住んでいる時。親父の車 後編でも書いたが、次の車を買うディーラーで「ウチでは値段が付きません」と言われたので、親父にプレゼント。親父も乗ったし、母もU12ブルーバード1.8XEで操作系が同じこともあり割と乗ってた。ところがあるゴールデンウイークに帰ってみるとすいすいくるくるに化けてた。母は自分用のブルーバードより気にいってたみたいで(そんなに踏まなくてもガンガン走る)、文句言ってた。知らんがな(´・ω・`)

 

 色々あったこのU12 ブルーバードSSS ATTESA Limitedの4ドアハードトップ、自分で洗車した最後の車である。