駅構内などにある矢印に逆らって歩いて、人をよけたりよけさせたりしてるバカを見るたびに思うのだが、ヒトはいつ矢印を学ぶのだろう。
小学校に就学する前には認知しているような気がする。じゃあ保育園か幼稚園、あるいはその時期に家で?いや、わざわざ明確に習っていないのではないか?親兄弟など一緒に生活している人と一緒に行動することで自然と認知しているのではないだろうか?
ということが気になったのでGoogle Scholarで論文を探してみた。日本語の論文しか調べていないが、どうも該当する論文は無いような気がする。
https://scholar.google.com/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=%E7%9F%A2%E5%8D%B0%E8%AA%8D%E7%9F%A5&btnG=
あともう一つの疑問は、文明社会に生きているとそこらに矢印が書かれているので矢印を見て行動することも多いけど、そうじゃない未接触部族はどうなんだろう。狩猟などをやっていれば矢は作るし使うと思うが、それをサインとして意思の疎通に使うことはあるのだろうか。未接触部族なので調べようがないけど。
また、矢印に逆らって歩いているバカって、もしかすると矢印の指す意味がわかっていないってことあるんだろうか。わからないなら仕方ない部分もあるが、わからない人って存在するんだろうか?
左右がわからない人は存在するようだ。オレも子供の時は苦手だったが。
「右」と「左」の咄嗟の判断がつかないと言うと「そんな簡単なこともわからないなんて(笑)」と思われるかもしれません。
どっちが左でどっちが右かなんて説明するまでもなく自明であり、それがわからないってどういうこと?と感じられてしまうかもしれません。
しかし、この「左右」の違いがとっさに判断できない人は結構多いのです。
俗に「左右盲」と呼ばれるものですが、この言葉は医学用語でもなければ学術用語でもないいわゆる”俗語”で、主だった研究すらあまりありません。
”盲”という言葉のネガティブイメージから「左右識別困難」とも言われたり、英語表記の「left-right confusion(左右錯乱)」とも言われますが、本記事ではとりあえず俗語として一般的な「左右盲」という言葉を使っておきます。
今回はこの「左右盲」について大学生に対して行われた調査と、実際の左右盲がどういうものなのかを少しお話ししたいと思います。
左右盲は左利きの人に多いと言われますが、それもまだ確実なことはわかっていません。
しなしながら実は私自身が左利きであり重めの”左右盲”です。
オレも左利きで「右手はお箸を持つ方の手」とか言われて、左利きだから当時は箸を左手に持っているわけで、それで混乱していたのだった。でもオレの場合は幼稚園の先生や小学校の先生の言う「右手はお箸を持つ方の手」を聞かないことにして解決した。
でも通行路に提示されている矢印って、右左折を示すもの以外は左右じゃないんだよな。前後あるいは上下で示されている。あれがわからないってことあるんだろうか?
矢印と言葉が結びつかない
また「←」と「→」でどっちが「左」でどっちが「右」でしょうと言う質問にも答えが詰まります。
もちろん矢印の指し示す”方向”は認識できる(私の場合)のですが、「←」が「左」と言う言葉と結びつかないのです。
「←」を「左」と言葉として識別する際、私の場合には「←は私がペンを持つ方で、私は左利きだから”左”か」と頭の中で考えてしまいます。
↑ ↓ は左右盲とは関係ないよなあ。
謎は深まるばかり。