いろいろやってみるにっき

てきとーに生きている奴の日記

古いエントリのサムネイル画像がリンク切れになってたりするけど、チマチマ修正中


「はい論破」って言ったほうが負けでいいだろ

日本経済新聞がこんなポストをしていた。

 

 

記事はこちら。月末なのでもう無料会員分使い切っちゃって中身読めない(カッコワルっ

www.nikkei.com

 

𝕏のポストにこんな画像が付いている。

 

相手が子供であることを考えると、初手から失敗するだろこれ。

 

違うんだよ。関係云々は次の段階。

 

ディベートなどの討論ならディベート参加者はディベートする肯定者側、否定者側と判定者がいる。この場合勝敗を決めるのは判定者。

リアルでもネットでもオープンに論戦になったら、参加しているのは論戦して敵対している2陣営という構図に見えるだろうけど、最終的な勝者はその場で言い負かしたかどうかではなくオーディエンスを味方に付けたほう。

クローズドな論戦では判定者はいないけど、そこで言い負かしてもその先の利益が無ければ勝者はいない。

ある人の言だが「裁判は裁判官分からせゲーム」である。裁判は誰がジャッジするのかが最も分かりやすい。裁判官(刑事の場合は裁判員制度もある)ということで確定している。その場で言い勝つかどうかではなく、裁判官・裁判員に自分の意見の方に理があることを分からせなければいけない。

 

このような構図を理解させるところが重要。ジャッジするのは自分ではない。

小さい子なら特にそうだけど自己の行動を客観視することが難しい。いや、某討論番組企画者兼進行役の某89歳児でも分かってないので、小さな子だからということでもないんだけど。某89歳児なんて自分が進行役のくせに、一方に乗ってもう一方を遮ったりするから見てられないんだけど。それぞれ専門家を出演させているっていう建前だろうが。何が企画者だよ。何が進行役だよ。なんでおまえが「違う」とか「黙れ」とか言ってるんだよ。

 

脱線した。話を戻す。

小さい子なら特にそうだけど自己の行動を客観視することが難しい。なので、まず勝敗の判断をするのは自分ではないということを教えてあげるべきである。

その場で言い負かしたかどうかは大きな問題ではなく、誰が自分に勝ち判定をくれるか、どれだけ多数の勝ち判定者を自分に付けられるかだという構造を理解させる必要がある。そういう意味では初手はタイトルに書いた通り「はい論破」って言ったほうが負けでいい。目先の言い合いだけが勝負全体ではないことを理解させなければいけない。

 

上述した89歳児を筆頭に、その場の言い合いに没頭して最終的な勝利そっちのけで勝利宣言する人間は多い。勝利宣言はいいけど、それでなんらかの利益を得たのであればいいが全く利が無いケースも多い。

 

そうならないためにも、その場の言い合いの勝ち負けだけではないという俯瞰した視点を持たせるべきである。イラストの下の方には「説得」って単語も出てくるけど、説得しなきゃいけない時点でかなり劣勢、説得しなくても済むようにすべきって話である。

お時間あったら、他のエントリもクリックして頂ければ幸いです。