興味深い。
18世紀ロシアの「ポチョムキン村」は、皇帝の視察用に急造された見せかけの村落を指し、「中身のない外観」の象徴とされる。研究者らは、LLMにも同様の「わかったふり」があるとし、この概念をポチョムキン理解と表現している。
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具体例:韻律パターンの応用失敗
代表的な例として挙げられるのが韻律スキームの問題だ。GPT-4oに「ABAB韻律とは何か」を問うと、下図のように正確に定義を説明した。しかしいざ詩の穴埋め問題でABAB韻律を適用させると、正しく韻を踏めず、自分でもその失敗を認める回答を出した。人間ならまず起こり得ない不可解な挙動である。
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論文では、ハルシネーション(事実誤認)とは異なり、ポチョムキン理解は概念構造の誤りであるため、人間にも検出が難しいと指摘する。
法務や医療、教育といった高い正当性が求められる分野でLLMを活用する際には、ベンチマークだけでは保証できないリスクとして注意が必要とされる。
結局ウソであることには違いないのだが、検出が難しいというのは厄介である。今までオレが遊んでみた感じ、多くはハルシネーションだと思うのだが(以下が例)、
上手く将棋が指せないのはポチョムキン理解かもしれない。駒の動かし方の能書きは合ってるんだけど、その通りに駒を動かせない。盤面も把握できていない。まあ、もう少しきちんと見る必要はあると思うけど。それにやってみたのは約二年前だし。
対象年齢6歳からだってさ。
ポチョムキンって単語には覚えがあるんだけど、それはこれだった。観たことは無い。
中身の無い外観という意味だったのか。




