いろいろやってみるにっき

てきとーに生きている奴の日記

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仮なんだから間違っていてもいい

これは良い教え。

 

blog.tinect.jp

私「自由研究で仮説立てるの?」

次女「先生が、自由研究、調べただけで終わりって人が多いって」

私「ダメなの?」

次女「調べるだけだったらネットですぐ出来ちゃうから研究にならないって。ちゃんと仮説をつくって、確かめて、まとめまで

やりましょうって」

私「ちゃんとやりたいの?」

次女「ちゃんとやりたい」

なるほど。

 

(中略)

 

随分本格的だな、小学校でそんなことやるんかな、と思ってちょっと調べてみたところ、最近の小学校の自由研究って昔とかなり違っていて、ちゃんと「動機-仮説-検証-考察」の思考メソッドを教えてくれている学校もあるんですね。

もしかするとAI対策みたいなこともあるのかも知れないですが。

 

これ、先生はネット時代に対応できている。自由研究の指導の際のメソッドとして決まっているだけかもしれないけど。

 

確かに現在、小学生の自由研究レベルのことはネットで調べられる。実際に実施していなくても実施したかのように書くことさえできるかもしれない。題材にもよるけど。

 

あと、AIはまあその結構ウソつくよ。遊びながら検証したけどモノによっては本当の情報がほとんどなかったりする。そういう意味ではAI対策は別方向の施策のほうがいいんじゃないかな。

shigeo-t.hatenablog.com

 

今、夏休みの宿題っていうことでAI対策が必要なのは読書感想文だよ。Notionあたりだと必要な文字数書いてくれそうだよ。学年に合わせた言い回しに修正必要かもしれないけど。

shigeo-t.hatenablog.com

 

話を戻す。ぐっと飛ばしてポイントはここ。

私「次女ちゃんアルゴ(限られた情報から、相手の数字を推理していくカードゲーム)好きだよね」

次女「好き!」

私「アルゴで当てる時、相手の数字分かんないけど、これとこれが分かればはっきり分かるな、みたいに考えて推理するよね」

次女「する」

私「間違えてたらリトライするよね?」

次女「うん」

私「それとおんなじ。仮説を作る時は、「その仮説は正しいか」は考えなくていい。まず、「その仮説は確かめられるか」だけ考えるといい。「良い仮説」っていうのは、「ちゃんと確かめられる、確かめるやり方が明確な仮説」のこと」

良いおとうさんだなあ。

 

昔書いたエントリにあるんだけど、

shigeo-t.hatenablog.com

 

正解を当てにいくタイプの人が社会に増えているのか、あるいはもともと多かったのがSNSなどで顕在化したのか、いずれかではないだろうか。

 

shigeo-t.hatenablog.com

先般国際シンポジウムで発表するために別府に行った際、前日大学教員の方々と会食しました。その際に「コンサルティングってどういう能力を求められるのか」という質問を頂いたので、持論を話しました。現在一応零細コンサルティング会社の経営者という肩書があるので。

概要としてはこんな感じです。

まずコンサルティングと言っても大きく二つに分かれます。一つは知っていることを教えるコンサルティング。税理士やITコンサルティングの多く、生産管理やトヨタかんばん方式などのコンサルはこのタイプです。「先生」と呼ばれると喜ぶタイプです。

 

もう一つは戦略コンサルのように顧客もコンサルタント側も答えが無い中、様々なメソッドを活用しながら一緒に考え、答えを出していくコンサルティング

 

前者はお勉強ができれば、あるいはある程度経験を積めば教えることができます。そういう意味ではストックしたナレッジを活用するHow-toものと言ってもいいかもしれません。一方後者はメソッドや業界知識などのお勉強は必要ですが、考える能力が主体です。何を考える対象とするのか(着眼点)からスタートするので、習えばできる経験すればできるというものではありません。

そのためには学生時代から「考える」という習慣が必要なんですよ、……

という話をしました。そのあとは、自分で考える学生って少数派ではないかという話に。

 

次女ちゃんが仮説の立て方で困っていたのは、仮説が正しくないといけないと思ったからということのようだけど、今の義務教育は正解を当てにいくことが是になってない?もちろん、中学受験とかするレベルの子には該当しないと思うけど。入試問題ちらっと見たら、考える能力が無いと知識があっても解けない問題あるし。

 

小学生の自由研究から大学レベルの研究まで、仮説が間違っていたら仮説が間違っていたで研究は進められるし、レポートや論文は書ける。

 

仮に仮説が間違っていたとする。仮説にしたがって実験などでデータ取ったあと、仮説が間違っていたとわかるとする。なぜ仮説が間違っていたのか、追試などをして検証し、考察すればきちんと研究として成立するし、論文としても成立する。仮説が間違っていた場合、追試などにより仮説を間違った原因を探るフェーズが増えるけれども、それはそれで有益である。課題解決能力が向上する。

 

正解を当てにいくタイプの学生だと、仮説が間違っていたとわかった時にどうするんだろう。上に書いた手順で仮説が間違っていた時の対応じゃなく、後付けで正しい仮説に変えちゃうんだろうか。

 

企業の研究者の場合、時間も金も掛かっているから仮説間違ってましたが通らない場合もあるかもしれないけど、事前に計画出していたりするから、結局は軌道修正するなら軌道修正する理由が必要。論文や報告書にどう書くかは別にして、間違ってた仮説をベースに取得したデータは生かすはず。仮説が間違っていた証拠って書き方じゃないかもしれないけど。

 

間違っていいっていう教えは難しいけど大切。

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