確かにねえ。仕事上の責任も増えてくる頃だし。
でもオレの場合少し早く34歳1998年だった。前にも書いたHP-UXのワークステーションをぶっ壊して無理矢理直していた頃、ちょっと時期は異なるが1998年でおフランスでFIFA ワールドカップが開催されていた。
オレは日本―クロアチア戦の日、やはりマシン作業でデータセンタにいた。上記エントリよりもちょい前だと思う。一応インターネットにつながる環境を用意し、仕事中に文字情報で試合の状況を追っていた。データセンタなんでそんなことしちゃダメなんだけどね。
調べてみるとNHK総合の放送開始は21:22からなので、完全に深夜作業である。
結局日本は力負けだったようだが、家に帰っても録画した試合を見る元気が起きなかった。サッカーの試合の結果よりも、「なんだよ、このクソ案件は」という怒りのほうが大きかった。
そもそもこの案件へのアサインは上司によって行われ、後輩と2人で呼ばれた時に「UNIXとWindowsどっちやりたい?」って聞かれてオレがUNIX、後輩がWindowsを選んだところから始まっている。
オレは1997-1998年頃のWindows Serverは触りたくも無かったし、後輩は後輩でWindows大好きUNIX嫌いだったのでいずれかを取り合いになるはずもなく即決だった。オレがWindowsでもコマンドプロンプト開いて作業していると、「画面黒いww」「またコマンドww」とかバカにしてくるような奴だったし。いや、悪いやつじゃないんだが。それより、当時のWindows NT4.0なんて、操作はほぼGUIだわログはまともに出ないわ、よくそんなの使うよなって感じだった。
こないだみずほ銀行で営業店が障害起きたけど、我々の担当する作業も今は名前が変わった某証券会社の新営業店システム構築が作業対象だった。UNIXマシンを担当すると上記のように作業は土日深夜帯になったりするし、Windowsを担当すると土日が営業店へのマシン搬入日になったりする。
作業の中身より、あれこれ条件が悪く「なんだよ、このクソ案件は」ということが多かった。
そこで思ったのは、案件を決めてきた奴が悪いんじゃね?ということだった。そういやこの案件もKing Of クソ案件だった。
shigeo-t.hatenablog.comなんで応援で入ったはずがメインになって激務なんだよ。メインを務めるはずの部署の奴らはのほほんと遊んでいて、技術的にも使えないし。
まさにコレ。
30半ばを過ぎた位から、男女共に「全部自分を通して」病、「オレ私聞いてない」病の発症に注意せねばならない…
— 研究員くろこ (@feketekoroleva) 2021年8月22日
放置すると酷くなり、40代や50代になる頃には病から妖怪と化している場合がある
組織長や決裁者じゃない人がこれになると大変。チクリと自分の胸に何かを感じ始めた時から冷静な対処が必要
支配欲に駆られるようになってしまったら、気になる物事や人を、見ない、聞かない、関わらない、に限る。
— 研究員くろこ (@feketekoroleva) 2021年8月22日
そう決めると万が一自然と見聞きしてしまって心がざわついても、「私が関わらないと決めたことだから」と元に戻って来れる。
自分で自分を囚われの身から解放していくしかない。
でもオレの場合「聞いてないよ~(ダチョウ倶楽部)」なのはこっちだと思った。
話が回ってこないのは自分が関われてないからである、と思うようにしています…自責で捉えないと https://t.co/MiGGCsuSFO
— kikidiary (@kikidiary) 2021年8月22日
クソ案件にしているのは仕事を取ってきた奴なんだから、そこをオレがやれば文句はない。問題があってもコレである。
ということで上司との面談の時に「提案SEをやりたい」と希望を出した。たまたまそういう奴を探していた別の上司の部署に秋の異動でトレードされ、今は亡き某保険会社担当となった。
やっぱり書いてた。
オレの場合SIerの中の人だったが、自分が開発する案件がクソみたいな受注条件が多かったこともあり、そこを改善したくて提案活動をメインにした。
そしてクソ案件は減った。ゼロにはできなかったが。深夜作業も2000年問題で一応立ち会った時くらい。1999年12月31日にデータセンタに行き、2000年1月1日早朝、何事もなく帰ってきた。ほんとはダメなんだけど車で行ってたから、早朝ファミレスに寄って朝食食べて部下の人を最寄り駅に送ってバビューンと家に帰ってきた。
元ツイのように見ない範囲を決めたら見ないことを貫くか、徹底的に自分でやるか。時間リソースは限られているからはっきりしたほうがいい。全部自分を通せなんてやってたら単なるボトルネックになってビジネスは大きくならない。