なんかブックマークコメントがアレなので1エントリ書くことにした。
この記事の瀧田さんってオレと入社年度一緒なので、当然同じような環境だったわけで似た境遇だった。当時や当時の大手メーカーや当時の大型汎用機を知らない奴のコメントが的外れ過ぎるけど、当時を知らなくても調べたり類推すれば、こんな的外れなコメントをするわけもなく、まあその認知の歪みってやつです。
COBOLをシートに手書きしていた頃。80〜90年代、OSS普及前の開発風景に学ぶこと - エンジニアHub|若手Webエンジニアのキャリアを考える!
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1986年にはアセンブラをコーディングシートに書いてたな。ダム端末全員分無かったし。コードレビューも紙。
2018/11/21 16:04
本文はこちら。ブックマークコメントが集中している本筋とは関係ない部分を引用しておく。まあ、タイトルに「手書き」って書いたから釣れたんだろうけど。
──1986年に大手メーカーに入社され、エンジニアとしてのキャリアが始まったと聞いています。当時のプログラミング環境はどのようなものだったのでしょうか。
瀧田 私はもともとソフトウェア畑ではなく、大学では化学を学んでいたんですね。社会に出るまでは、実はコンピューターというものを触ったこともなかったんです。
そんな私が社会人1年目にやったのは、コーディングシートにCOBOLのコードを書くことでした。スクリプト言語やHTMLを今はエディタに打ち込むじゃないですか。でも、当時は紙にコードを書いていたんです。イメージできますか(笑)。コーディングシートというのは原稿用紙のような紙で言語別に売っていて、それにコードを手で書いていくんです。コンピュータといえば大型汎用機の時代でしたから、個人がパソコンを持っている、なんてことはありません。
そして、コーディングシートに書いたプログラムを、今度はパンチカードと呼ばれる紙にパンチしていくんです。当時はパンチャーと呼ばれる、パンチ作業専門のスタッフもいたんですよ。
もう、ブックマークコメント一件一件引っ張る労力が無駄なのでいくつかをスクショで。
その1。
大型汎用機の端末にMSX使うわけないだろ。当時のホビーユースのマシンが仕事に使えるかどうか、考えてから書くか、目の前の箱で調べろ。というか、通常のMSXマシンってモニタ無し販売だよね。モニタどうすんだよ。心眼じゃプログラミングもデバッグもできねえw
その2。
COBOLって言ってんだろ。それにおまえ同じ大手メーカーか?Fortran演習って企業で?学校で?演習程度の話とビジネスの話は同じスケールじゃないだろうが。演習だとすると例えば40名×3クラスに120台用意しなくても40台以上あればコーディングシート使わずにいきなりキーボードぱちぱちだったってことになるけど、ビジネスで120人のプログラマいたら常時マシン使わせるなら120台以上必要ってことだぞ。算数の文章題苦手っぽい感じで義務教育の敗北を感じる。
その3。
個人が持ってても、当時の大手メーカーが大っぴらにBYOD許すわけないだろ。あと、今みたいに一桁万円じゃPC手に入らないから、個人じゃ持ってない人の方が多いけど。企業側が一人一台用意=個人っていうつもりなら、これはもう義務教育の敗北だし、そもそも大型汎用機の端末という意味ならダム端末が主流。PCにダム端末のエミュレータを載せて使う形態は無くは無かったけど普及はもう数年後。この後、UNIXマシンがビジネスユースされるようになった時も、UNIXマシン一人一台じゃなく、UNIXマシン+X端末数台という構成からスタート。金額考えれば、そういう導入方法から少しずつ普及していくのがコンピュータの歴史。
それにパソコン第3世代ってどういう定義なんだよ。そのままググっても出てこないぞ。Core iシリーズの世代のマシンじゃないことは間違いないし、もちろん第三世代コンピュータはもっと古いし。
『OSSの前は~』以降の話も意味不明。インターネット普及前、ごく少数がパソコン通信を使っている程度の時期に、ふんだんにリソースがあるわけでもないのに、アプリのソースがそこいらにころがってて(そんな作者はどこに?そんなディスクスペースはどこから?)、パクり放題?
まったくもう、バカなんじゃないのか?
このブログでは調べてみると2回コーディングシートについて書いていた。
逆に完全に非エンジニア系のキャリアパスのパンチャーとかはデータパンチ業務では生きているけど、プログラムのパンチャーは死滅しているので、「コンピュータ系のお仕事をする会社員」で合っている。昔はコーディングシートに手書きしたプログラムを《パンチ》するという業務があったのよ、しかも出来上がりがテキストファイルならいいけど、場合によってはパンチカードに。
そのうえ、当時の事情だけど(オレ、オサーンなので)コーディングシートやパンチカードってwwという世界(古いwww)。紙にコード書いてコードレビューですよwやってらんない。大学生の時はPCに直接打ち込んでたのに。
オレも大学の時はPCは高くて買えないから個人としてはポケットコンピュータ(通称ポケコン)使ってた。実験のレポート書くのに手計算じゃ死ぬので、毎回実験内容に合わせてプログラム作って計算してた。まあプログラムの内容的には、今ならExcelで関数使うくらいのレベルだけど。遊び用のプログラムじゃないので動けばOK。数字を入れちゃ、答えを転記ってやってた。
そういやこの本、去年の引越しの時に発掘されて多分捨てたw。
卒研ではPC-98が研究室にあって、1985年秋にPC-9801VM4というHDD搭載マシンが導入されたときはすげえと思った。それまではガッチャンガッチャンうるさいFDDマシンだけだったんで。
それが会社に入ったら手書きでコーディングですよ。ペンダコ酷かったし、右手はいつも鉛筆カスのせいで黒いし。ちょっとしたJCL(ジョブ制御言語という命令語)やコマンドプロシジャー(というスクリプト)なら端末直でも良かったんだけど、なかなか端末も使わせてもらえない。
それに大型汎用機のIPL(initial program load)なんて、OSのシステムジェネレーション(納品された構成に合わせてOSを作る)が終わるまでは、使えるデバイスがカードリーダとテープとコンソール、1行ずつギーギーいいながら打つプリンタくらいしか無いレベルなので、そのカードはパンチャーさんに打ってもらうためにコーディングシートに書いたり。自分でもパンチできたけど、気が狂いそうになるんだよなカード用のキーパンチって。ミスるとカード1枚ゴミになるわけだし。古いマシンだと直パンチなのでキーパンチ一つずつミスしないように気を使う必要があるし、少し新しいマシンでも1行バッファなので、1行打っては確認してパンチに送り込む。プロのキーパンチャーさんの胆力はすごいって話ですよ、オレらは数枚打つのでも気が狂いそうになる。すぐに訂正できるPCとかとは話が違う。
あと、仲間内でパンチカードの貸し借りとかもしてた。端末が複数台使えるようにするまではカード頼り。別製品の設定でも、共通する部分はあるので、ミスったカードの差し替え版を作ったりするより借りたほうが早い。数百枚のカードを並べて輪ゴム止めして持ち歩くこともあるので、お菓子の缶(平たくて少し厚みがある奴)が大活躍。
こういう缶だとカードの並びを分割しないと順番通りに入れられないので、
こういう缶とかが好まれる。
というようなことを大型汎用機ユーザはやっていたわけで、バカバカしいもっと改善できたはずという意見は否定できないが、利用者サイドとしては製品が改善されないうちはカードの貸し借りとか入れ物のお菓子の缶くらいしか工夫のしようが無い。
それにそういう時期なので、設計書とかも手書きだしな。
こちらとしては顧客側の承認まで済んだことについて文句を言うのであれば、先輩自ら再調整すべきであると考えた。そしてストレートに確認した。
「では、この設計書は不要ですね。」
なんかまだ「どうなっているのか」「なぜそのようになるのか」について話し始める先輩。オレは設計ドキュメントの原紙(先述の通り手書き)をニコニコしながら破き始めたw。縦横1度ずつ、4分割されたところで止められた。
なんなら、オレは1990年代でも紙テープシステムを作ったりしたわけで、ブックマークコメントで引っ張ったような奴らは、ブックマークコメントでカジュアルに否定する前に調べる能力が必要ではないかと考察する。
まあ、言いたいことはそんなところです。