どこから出てきた話かわかんないけど、「大学で勉強したことは役に立たない」説もついに細分化が始まった?
2つのまとめのうち、2番目のタイトルは「卒論は仕事の役に立たない?」になっているが、タイトル付けた奴が悪い。あくまで話題は「卒論を書くことが仕事の役に立つのか立たないのか」である。
まとめの中には共通のツイートもあるが、結局コレofコレだろう。
卒論を書くことが卒業後の社会人としての仕事に活きないというのは、日本でありがちな学問と実務は違うという思い込みから来ているとしか思えん。広範に資料を読みこなしてそれらを整理して、必要な調査を行って主張を補強し、それを説得的に書く能力がビジネスに役立たないわけがないだろう。
— 赤堀雅幸/AKAHORI Masayuki (@abou_yuto) 2022年11月9日
ちなみにビジネス文書は卒論と違ってより簡潔というのも、2点で嘘で、卒論も簡潔な方がいいに決まっているし、ちょっと周囲のできのいいビジネスパーソン見渡せば、卒論クラスの長さの文書、仕事上でバンバン作っているぞ(目の前にいる)。
— 赤堀雅幸/AKAHORI Masayuki (@abou_yuto) 2022年11月9日
卒論を書くことが役に立たない業務というのはもちろんある。単なる力仕事とか。さすがに単なる力仕事に役立つ卒論というのは卒論の中身まで踏み込んでしまうので、論文を書くという行為そのものではない。
オレはというと、大学に入って1年生の前期から4年生の前期までずーーーと何かしらの実験が長期休み時以外毎週あり、実験があるということは実験のレポートの提出がやはり毎週あった。毎週毎週10数ページのレポートを書いていた。しかも当時はワープロもPCも(オレたち学生には)普及していなかったので、手書きである。しかもペン書きである。鉛筆書きのものを持って行っても受け付けてもらえない。いや、1年前期は鉛筆OKの実験だったかもしれない。今みたいに安くて書きやすい水性ボールペンもなく、水性の製図用ペンなどで書いていた。
ペン書きなので、書き間違いは悲惨である。9割書いても修正不能なミスならそのページは全部書き直しである。修正できる程度(数文字程度)であれば、修正液でOKだが。
ノートなどにざっと鉛筆で下書きし、レポート用紙に清書する。この時、1行転記漏れとか重複転記とかあったりする。さすがに1行単位で修正液というのは受付拒否されるので、どうしても書き直しとなる。
今みたいに修正テープも無かった。修正液を塗っては乾かし書き続ける。乾く前に書くと水性ペンなので滲むからさらに修正液を塗るはめになる。
前にも書いたかもしれない話。1年生の最初の実験の時のレポート提出時、我々は担当教員の研究室前の廊下に並んで実験レポートのチェック待ちをしていた。そして聞こえてきたのは教員の「お前はコクヨのグラフが信じられないのか?」という大声。何事かと思って研究室から出てきたM君に聞くと、「グラフの軸の線が罫からずれてた」という話。我々のクラスは1,2年メンバー共通だったので、その後レポート関係で何かあるごとに「コクヨのグラフ事件」として語られることにwしかもそのグラフ、まだ最初の実験なので対数グラフとか使うレベルじゃなくて、小学校からお世話になっている方眼紙である。
前にもポケットコンピュータ略してポケコンがレポート作成に役立っていた話は書いた。
オレも大学の時はPCは高くて買えないから個人としてはポケットコンピュータ(通称ポケコン)使ってた。実験のレポート書くのに手計算じゃ死ぬので、毎回実験内容に合わせてプログラム作って計算してた。まあプログラムの内容的には、今ならExcelで関数使うくらいのレベルだけど。遊び用のプログラムじゃないので動けばOK。数字を入れちゃ、答えを転記ってやってた。
それに比べると卒業論文は楽だった。なにせ我々の研究室は卒業研究であるプログラムを10名くらいで構築するもので、卒論はおまけ。様式守って必要十分な内容ならパスする。1名NG食らったらしいが。この件は書くと長くなるのでまた機会があれば。
毎日毎日あーでもないこうでもないとプログラミングしたりデバッグしたりビルドしたりしているので、中身は超分かってる。実験レポートと比べて特に苦労した思い出が無い。しかもである。PC使えるので卒論はPCで書ける。目次作って書けないところはスタブ*1のまま、書けるところをどんどん書くということができる。手書きだと、どうしても独立した紙を使うグラフ以外は頭から書く必要がある。使っていたのはジャストシステムの太郎。一太郎になる前の製品である。
そうか、オレたちが太郎で卒論書いている頃、一太郎が出たのか。
そんなわけであまり卒論では苦労した覚えがないが、その前の毎週の実験レポート作成は大いに役立った。そしてそれは会社に入ってから、実感することになる。
オレが入った会社は大企業の子会社である。親会社と同じように入社してからの区切りごとに論文と発表がある。ググったら、社名が丸わかりになるのが分かったのでボカすけど、入社1年目の終わりには「新人成果発表会」。これは論文は無く発表のみである。
高専卒・大卒・院卒2年目の終わりに来るのが「〇〇〇論文」である。〇〇〇には2年目社員の職級名が入る。これは論文を書いて発表もある。業務としてやったこと、どのように工夫して改善したのかを書くものである。これを通過しないと次の職級に上がれない。ということは給与も2年目までの職級に据え置きである。もちろん、ボーナスにも大影響がある。
新人成果発表会はアガってしまい酷いものだった。大学の卒論では発表が無くプレゼン経験が無かったのもよくなかった。
一方、2年目のほうはしっかりできた。通常は先輩が指導員として付いて赤入れなどをするのであるが、オレは課長と直だった。指導員をやるべき先輩は前にも書いたけど会社に来ない人だし、そもそもその先輩はこの「〇〇〇論文」がイヤすぎてブッチして昇級が遅れた人だった。人のならいいじゃんってオレなら思うけど、人のも嫌だったらしい。
また、主任は遠く離れた別の顧客担当で月2回くらいしか会わない。そこで(ちょい訛りがある)課長が、「おめーは直接見てやる」と言って直接になった。普通であれば指導員にダメ出しされそれを修正して指導員OKとなれば初めて主任のところに持っていける。主任のダメ出しを直して主任OKとなって初めて課長のところへ。当然、課長も課長の観点でダメだしをする。最終的には部長印が必要だが、よほどのことが無ければ課長がOKなら部長はOKを出すというスタンプラリーである。最悪なのは指導員、主任、課長のそれぞれが違う指向の場合。「主任のダメ出しを直したら指導員はNG出すし」「主任と課長仲が悪いから違う事言う」とか同期はよくグチってた。
でも、オレの場合は課長と直なので、早い早い。それに実験レポートや卒論などで基本的な論文の構造も知っているし、文章表現も論文用の文が書ける。論旨の展開などの直しは受けたが、なぜその方が自分の元のものよりも良いのかもすぐ理解できる。卒論なども役に立ったけど、この「〇〇〇論文」もそのあとの仕事に大いに役に立った。あと、通常課長印も提出日の夕方くらいまで押されないことが多いが、部長に時間を与えると部長もダメ出しする人がいるという合理的wな理由もある。でも、オレの場合は提出日の2日前に課長印をもらった。それは課長が新婚旅行に行く前日だからである。幸い部長もストレートで通ったのでみんなより2日早く解放された。オレの実力とは関係ない話である。
それでも作成中はキツかった。仕事時間が終わってから客先から自分の部署に戻って論文作成である。ワープロは部に1台。なので同期とワープロの取り合いをしてなんとかワープロの取り合いに勝ったら論文書いてみたいなことをやっていたので、この期間中は会社で仮眠して朝一で寮に帰って着替えて客先に出社という生活だった。深夜は暖房入ってないのでよく部長席のソファーでコート被って始発の時間まで寝てた。コロナ禍の今なら確実に死んでる。今はワープロの取り合いが無いのは幸い。というか、オレの次の年からは客先のワークステーションにワープロソフトが入っているものが配備されたりして、会社に戻ってみたいなムダが減った。
これまたそのものずばりの名称だと社バレするのでボカすけど、◇◇報告書とか□□報告書とか、親会社の論文誌に論文寄稿とか会社勤めしている間に論文形式で書くことも多かった。◇◇報告書とか□□報告書はAuthorで何本か出さないと昇級しないとか、何か規定がある。
上にも書いたが新人成果発表会は今も思い出すほどボロボロだったが、だんだんプレゼンも数をこなすと前に何人いようが関係なくなる。論文絡みじゃなくても、作業内容の説明とか客前で一人でやったりしたせいで、しまいには親会社と一緒にやってる提案のプレゼンがオレだったり、会社主催のセミナーのスピーカーだったり(こういうスピーカーではない)、
社外で講演したりみたいなことまで進んだ。
単なる作業者だと卒論書くのは役に立たないって思ってしまうかもしれないけど、ビジネスやっていれば普通に役立つぞ。
まとめにもあったけど、大学には勉強しにいくものって思っている人にとっては、調べたり研究したりというのはお勉強じゃないので役に立たないと思うのかな。
*1:スタブとは、切り株、半券、(何かが減ったり短くなった)残り、などの意味を持つ英単語。ITの分野では、本物が用意できないときに動作に支障が無いようにとりあえず置いておく代用品という意味で用いられることが多い。