釣り針大きくて雑だけど釣られてみる。
一人で全部を演じる「落語」は本当に面白いのか? (メディアゴン) - Yahoo!ニュース
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『名人クラスの落語を見ていても、「あれ、これって誰だっけ?」と思わされる瞬間はある。』 え?マジ?
2016/09/24 15:08
ブックマークコメント通りなんだけど、落語は聞き手の想像力・聴取能力に大きく依存する。そういう意味では面白さは万人通り。あと、見るんじゃなくて聴け。
「この考えは間違いだ」という人は、是非「落語家が登場人物全てを一人で演じることでおもしろさの向上につながっている部分がある」という点を具体的に教えて欲しいものだ。作り手にとってのメリットではなくて、客にとってのメリットを。
聞き手の能力に依存するので、「落語は面白くない」「落語はよく分からない」という人がいてもそれは仕方ない。だが、幸いまだ落語ブームらしい。落語ブームと言われて何年も経つと思うんだが、今年もまだこんな雑誌が出ていたりする。
そういうわけで、「落語は面白くない」「落語はよく分からない」という人が一定数いても、今のところまだ文化としての落語の維持については心配には及ばない。裾野が広がって行っている段階なんで。
芸能・文化を”メリット”で語るべきものかどうかは置いておいて、元記事の問いが”メリット”についてなので、”メリット”について考えたい。一人で全て演じるのは落語だけでなく、浪曲もそうだし、紙芝居も基本的には一人だし、本の朗読なども一人だったりする。なんで落語なんだろうね。
落語の場合、一定以上の想像力・聴取能力があれば、その人なりの情景を思い浮かべながら聴くことができる。演劇のように登場人物があまりメインストーリーに関係ない部分でも登場していて邪魔をしたりすることもなく、その登場人物の人物としての背景を説明することも無く、登場する理由を演じさせる必要も無く、その場その場で必要な登場人物のみにスポットライトが当たる。登場人物だけではない。場の情景や大道具小道具もそうだ。お屋敷が必要ならお屋敷が、火鉢が必要なら火鉢が、箪笥が必要なら箪笥がその場で見えてくる。
聴いている側がその落語の目指す面白さに向け、ムダを削ぎ落して想像力を使う。聞き手によって聞き手に最適な状況が生み出されていくわけで、面白くないわけがない。落語家の言葉や仕草を使い、ローコストでその噺のスケールに合った世界観を味わうことができる。しかも演劇に直せば長くなる話を、ムダを削ぎ落してストーリー展開するため短時間で楽しめる。これが客にとってのメリットである。
その代わり残念ながら聞き手の想像力・聴取能力に依存するので、どんな名人の噺でも想像力・聴取能力に欠ける人には面白くない。演劇などに比べると説明されないことが多いので、分からない人には分からない、聞き手の能力依存、聞き手を選ぶという部分がデメリットとも言える。
元記事の高橋維新氏は知らなかったが、元々ハガキ職人だったらしい。ブコメ等で知った。そして記事にも書かれている通り、現職に弁護士とコラムニストと書かれている。コラムニストの場合はインプットとアウトプットは別々に行われるので、物事を理解したりする能力にスピードは求められない。
一方弁護士は、契約やリーガルチェックなどの文書ベースの業務だけでなく、リアルタイムのコミュニケーションも重要な職能の一つ。落語を聴くための基本的な能力である想像力・聴取能力が欠けていては商売にならないはず。よって、司法試験に通り弁護士としては開業できたけど、基本的な能力に欠けるために炎上コラムニストとして生きるしかないのか、単なる炎上狙いの釣りなのか?司法試験に合格するための能力と、想像力・聴取能力は全く別の能力なので、商売になっていなくてこんな雑な釣りをやっているのだろうか?
まあどっちでもいいんだけど。 弁護士としての能力に欠けますという素直な自白だったら、それはそれでかわいそうではある。
あと、「落語は面白くない」「落語はよく分からない」という人は無理して落語を聴く必要も無いとは思うけど、興味があるなら名人・上手と言われる噺家より、面白い噺家から入ったほうが分かりやすいと思うよ。
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