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てきとーに生きている奴の日記

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愛車遍歴 ―親父の車 前編―

自分の車が無くなったので、ちょっとずつ思い出を書いていこうと思う。まずは親父の車から。書いてみたら、変わった車もあったりして変わり者感が強く、「ああ、親子だな」って思った。

 

物心ついた時にはまだ家に車が無かった。その時、なんと親父はガラス屋をやっていた。昔のガラスは割れやすかった(一般に使っているガラスが今より薄い、強化ガラス等は普及していなかった)ので割と堅実な商売ではあるのだが、持ち込んでくれるお客さんだけではないので、出張修理も必要。親父はスーパーカブの後輪横にガラスを積む台を自作設置して、その台に積んで出張修理に行っていた。保育園にもそのスーパーカブ号で送り迎えしてもらった覚えがある。そのカブは車を買ってからもしばらくそのまま使ってた。

 

そして自家用車第一号はダイハツハイゼットトラック。Wikipediaを見ると、2代目なのでモデル末期かモデルチェンジ後に安く買ったんだろう。なにせ元の職場だし。細かいことは聞いてないけど、兄は世田谷生まれ→八戸に戻ってダイハツのディーラーで働く→オレ生まれる→ガラス屋開業の順みたい。最後の2つは逆かも。なにせ生まれる前の話なんで。さらに余談を続けると、母の実家の稼業はガラス屋で父のバイト先。父は昭和36年3月大学卒業(1年次必修のたった一科目のために1年留年)、兄は昭和36年6月生まれ。やるなあw


父が車選びをしていた時代は軽トラはハイゼット、普通車のトラックはトヨタ・ライトエースだった。こっちは純粋に仕事用なのでこの後の入替詳細はいいだろう。

 

真の自家用車第一号はダイハツ・コンパーノバン。紺色だった。名前の通りイタリアンなカッコイイ車だった。今、エンブレム外してきれいに塗装したら、古いイタリア車と言っても信じてもらえそう。でも、このコンパーノはあまり長くは乗っていなかった。新車で買ったのか、中古で買ったのかは聞いてないけど中古だったような気がする。

もう実物は数十年見ていないような気がする。元々そんなに売れた車じゃないし。

 

次の車はトヨタ・カローラスプリンター。スプリンターの初代はカローラのクーペ版だった。弟も生まれていて男ばかり三人兄弟、今みたいに後席シートベルト、子供や赤ちゃんにはチャイルドシート・ベビーシートという時代ではない。親父の理論は、男ばかりの3兄弟、2ドアクーペの後部座席に詰め込んでおけば、勝手にドア開けたりしないし安全というものだった。

色は朱色っぽい赤。Wikipediaに載ってる写真と同じ。この車はオレの幼稚園時代から小2か小3くらいまで、割と長く乗った。あちこちに連れて行ってもらった記憶もある。そしてこの車の最期(この字で合ってる)は、親戚の家の前(国道)に路駐していてトラックに吹っ飛ばされたというものだった。路駐→親父が悪い、吹っ飛ばした人→飲んでた?直線なのに前方不注意?当時は詳しく聞こうとすると怒られたので詳細は不明。母は数百メートル飛ばされたって言ってたけど、いくら今の軽自動車よりも軽くても(730kg)そんなに飛ばねえってw


ところがこの吹っ飛ばされたカローラスプリンター購入の後、親父は仕事兼用でもう一台購入していて、2台持ちしていたのだった。もちろん、軽トラ等は軽トラ等で保持したまま。その車はいすゞ・ユニキャブ。ボディ形状はオープンか幌である。幌は前席だけモードと後部まで全部モードがあった。夏場、オープンでドライブに行って日焼けに苦しんだり、面白い車だった。

 ジープのムードを取り入れたユニークなFR車であり、

 見た目は三菱ジープをかわいくした感じなのに、FRなの。雪が降るとよくスタックしてたw冬場は雪の朝、この車を押すのを手伝わされてた。スパイクタイヤ履いて金属チェーンしても、ケツが軽過ぎて大変だった。トラクションというものを学ぶことができた。これは、日本における元祖SUV(なんちゃって方面)と言っても過言ではない。


仕事兼用と書いたが、親父はこのユニキャブの後部座席を畳んでガラス等を運ぶ馬を積んでいることも多かった。馬と言ってもヒヒンと鳴くほうではなく、下記のようなもの。ちょうどいいサイズは無かったはずなので軽トラ用を使っていたんだろう。この馬を積むにしても結構重たいので大人数人がかり。よく積んだり降ろしたりしてたな。

 

http://www.sugimurashoji.co.jp/image/carthorse.jpg

 

で、カローラスプリンターが吹っ飛ばされた後、次の車を注文したのだがなかなか来ない。そちらは後述する。で、代車のトヨタ・パブリカの初代と、

ユニキャブが併用された。オレと兄はそのころ小学生で学区外通学していた。住所を店舗のままにしていて、自宅は父方の祖父の家であった。朝はバスか親父の車で学校へ。帰宅は一旦店舗のほうにして、そこからバスで実家に帰らせていただくか、親父の車で帰宅するという生活が小2から中3まで続いた。毎日、実家に帰らせていただきますをやってた。パブリカ→狭い、ユニキャブ→寒いという2択である。さすがにカローラスプリンターよりもワンサイズ小さいパブリカは、家族5人では狭い。一方のユニキャブ、たまに乗るなら楽しい車だが、冬の朝は幌を張っていても隙間風で寒い。前席ならヒーターの恩恵もあるが、後席には暖房なんてあるはずもない。死ぬかと思ったw

 

ユニキャブはいつの間にか無くなってた。取っておけば骨董的価値はあったんだろうけど。ガラス積んだりして荷台が傷でサビだらけだったからダメか。

 

そして正規の3台目は2代目のトヨタ・スプリンターの1400ハイデラックス2ドアクーペである。2ドアクーペなのは前述の親父の謎理論通り。

納車に時間が掛かった理由は在庫が無い色を注文したからだった。ワインレッドである。

残念ながらトヨタ・スプリンターのWikipediaには2代目の写真が無い。ということで、スプリンター・トレノのWikipediaから写真を拝借。

トヨタ・スプリンタートレノ - Wikipedia

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これのブリスターフェンダーが無くてワインレッドやつがウチの車である。型名はTE25。この車は長く乗って、オレも免許を取ってからちょっとだけ運転させてもらった。壊されると困るって言ってなかなか貸してくれなかった。 軽トラは割と貸してくれたけど。10年以上は乗ったことになる。

ワインレッドの心

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  • アーティスト:玉置浩二
  • 出版社/メーカー: Dreamusic
  • 発売日: 2002/12/28
  • メディア: CD
 

 

まず同じスプリンターでワインレッドをほとんど見掛けることもなかったし、同じワインレッド(つまりトヨタ車)でもセリカLBなど数台見掛けただけだった。そりゃ納車に時間掛るわ。

 

オーディオは8トラ。音源は家で録音できないのでテープを買うしかない。

なかなかテープが増えない中、オレのお好みは浪曲。数本あって天保六花撰とかは覚えている。なんで浪曲好きだったんだろうオレ?

浪曲 広沢虎造 全4巻 CD32枚組 (収納ケース付)セット

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  • メディア: CD
 

  

グレードは1400ハイデラックスなのでエンジンはT-D型。乗ってみた感じは割と回るエンジンだった。トルク感はあまり感じなかった。


この車は大学進学で家を出た後も乗ってたので、親父の代のウチの車の代表と言っていいだろう。家族5人+秋田犬で秋田犬の展覧会に行ったり、とにかくあちこちに行った。一番遠くは、夏休みに母方の祖父母と太平洋側東北一周。父母はいつも通り仕事で、祖父の運転で祖父母と兄弟3人が車で旅行。

よくドライブとして行っていたのは十和田湖・八甲田方面。冬場の奥入瀬渓流で、ウォッシャー液ではないなにかの黒っぽい液が漏れた事件もあった。

奥入瀬の清流

奥入瀬の清流

  • 発売日: 2007/04/25
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

このスプリンターの後、まだ3台ほどあるがそれは後編で。

shigeo-t.hatenablog.com

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