いろいろやってみるにっき

てきとーに生きている奴の日記

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保育園、幼稚園の頃の思い出

はあちゅうには興味無いけど『幼稚園にしようか保育園にしようか』が気になって読んでみた。

 

www.dokudamiyoshiko.com

手続き時期を考えればそうだよね~と思いながら、ごめんなさい。関係ない話を書く。

 

実はウチの3兄弟はどっちも行った。もちろんダブルスクールってことではない。保育園1年→幼稚園→小学校という進学ルートである。両方通ったので子供ながらに違いは把握していた。

 

オレ(1964.2)と兄(1961.6)は2学年差。オレ(1964.2)と弟(1967.9)は4学年差。等比数列?3年3年だと入園・入学と卒園・卒業がちょうどいいと思うのだが。まあ、かなり早産だったオレが悪いw

 

実家はガラス屋をやってて母も父と一緒に働いていた。保育園、幼稚園ぐらいの幼児は仕事の邪魔。ガラス屋って言っても吹く方じゃなくて板ガラスの加工・施工である。

 

板ガラスの加工・施工ということはあちこちガラス屑だらけである。保育園、幼稚園ぐらいの幼児がいつ触って手を切ったり、踏んで足切ったりするかわからない。忙しい時は目を配るのも難しい。そこで保育園に通えるような年齢になったら保育園、幼稚園に通えるような年齢になったら幼稚園というふうに仕事時間を確保したというわけ。ずっと保育園でもいいはずなのだが、なにかそこは色々都合や考えがあったんだろう。

 

当時、今はガラス屋の仕事じゃないと思うけど水槽もやってた。ディスプレイ用に熱帯魚とかワニとか店頭で飼ってた。枠をメーカーから仕入れてガラス入れて売ったり、割れた水槽が持ち込まれて修理したり。父に連れられてよそのガラス屋に行くこともあったけど、あんまり水槽やってるガラス屋は無かったな。オレが保育園児の時はアルミサッシもパテ止めだったから、頼まれればどこのガラス屋でも修理できたと思うけど。

ああ、今の水槽はガラスじゃないほうが多いのか。ガラスの水槽クソ重いもんな。枠もステンレスだし。

 

そのほかには額縁もやってた。額縁はよそのガラス屋さんでもやってるところが多かった。母が銀行とか保険会社とか新聞社のカレンダーから、名画や風景を切り出して額に入れて店頭にディスプレイしてた。

そのほかは鏡ぐらいか。ウチには丸く切るガラス切りもあったので、手鏡とかも直したりしてた。丸く切るガラス切りは大きなコンパスみたいなもんである。なんか変な形のうねうねした鏡も枠をトレースしてRを調べて図面ひいてトレーシングペーパーに写しガラスに線引いて、丸く切るガラス切りと通常のガラス切りを駆使して切ってたな。

普通のガラス切りは狙った曲線を切るのは難しいのよ。

 

で、保育園の思い出はコレである。

shigeo-t.hatenablog.com

物心ついた時にはまだ家に車が無かった。その時、なんと親父はガラス屋をやっていた。昔のガラスは割れやすかった(一般に使っているガラスが今より薄い、強化ガラス等は普及していなかった)ので割と堅実な商売ではあるのだが、持ち込んでくれるお客さんだけではないので、出張修理も必要。親父はスーパーカブの後輪横にガラスを積む台を自作設置して、その台に積んで出張修理に行っていた。保育園にもそのスーパーカブ号で送り迎えしてもらった覚えがある。そのカブは車を買ってからもしばらくそのまま使ってた。

 

幼稚園の頃の思い出はこちら。

shigeo-t.hatenablog.com

今でもはっきり覚えている。1968年5月16日9時48分、まだ幼稚園児だったオレはなぜか店舗兼自宅にいた。2階建ての3軒長屋の一端である。今風に言えばテラスハウスである。店舗付きなので、メゾネットタイプというような、かっこいいもんじゃなかったが。

 

まだ家にいたのは、その日の幼稚園はなぜか11時からだったためである。そのためその時間、母は台所でオレの昼食の弁当となるサンドウィッチを作っていた。送迎のスクールバスの来る時間が迫っていた。オレの着替えは済んでいた。

中略する。

弟がいるはずだったのだが見当たらない。大きな揺れは横揺れに変わっているが続いている。2人で弟を探した。高いところにある色々なものが落ちてきた。

 

弟は、5月なのにまだ使っていたこたつに潜り込んで寝ていた。そのため発見に時間が掛かった。オレとは3つ違いなので当時はまだ1歳。弟は1歳児ながら、地震のときには机の下にもぐるという動作を行っていた。こたつに潜り込んで寝るのが好きだっただけだが。

 

最初に書いた年齢差通り弟とは4学年差なので、1968年5月にはオレは4歳で幼稚園児だったけど兄は小学生、弟はまだ保育園に入る前。弟が保育園児だったら今オレは生きてないかもしれない。

 

とまあ、取り留めない思い出話である。

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