いろいろやってみるにっき

てきとーに生きている奴の日記

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並ばなければ背の順を意識しないわけじゃないのに何言ってんの?

何言ってんだこいつ。

 

news.yahoo.co.jp

 

オレも小学校、中学校の時はクラスで1番目2番目に背が低かったので背の順に並ぶと1番前に並ぶのがほとんどだった。そりゃ1番前なんて、いいことなんか何もが無いのでイヤだった。

 

彼らは全体から見ればマイノリティーである。学級の中で最も背丈の低い子どもは、1人しかいない。かつての男女別の2列であっても、学級で2人である。あとは、「2番目、3番目で、いつ自分が一番前になるか」と戦々恐々としている子供も加わるかもしれない。

 逆に、背が高いがゆえに後ろで苦痛を感じている人もいる。「平均から外れている人」というのは、いつだってマイノリティーの側である。

 実際、筆者が聞き取りした際、以下のような小学生の声があった。

 「いつも一番前なのも嫌だし、時々、悪口を言われることがあるのもつらい」(男子)
「背が高いことを気にしているのに、並ばされて一番後ろだと余計に目立つから嫌」(女子)

 こうしたマイノリティーの意見は気にしすぎであり、我慢すべきなのだろうか。「私は背が低い(高い)ことなんて気にしたことがない」「背の順でよかった」という無邪気な肯定派の人に、自らの気持ちを我慢して合わせるべきなのだろうか。

 筆者はそんなはずはないと考える。すべての人の気持ちが、尊重されるべきである。それは、性的マイノリティーと言われてきた人々の人権が認められてきたことをみても明らかである。

 

この著者は感情のみにフォーカスしているけど、朝礼などで出席番号順とかで並ぶと背が低い子は誰かの背中だけを見るはめになる。背の順に並ぶことには一定の合理性がある。オレは感情と合理性を天秤に掛ければ合理性を優先すべきと考えていた。前が見えないと困る時に、背の順に並ばないことで不利益を被るのは背の低い子であって、能書き考えてるこういう教師(著者は公立校教員)ではない。オレ自身、くじ引きで行われた席替えで、座高の高い子の後ろになった時に、黒板が見えにくいから前の席に変えてもらったことあるし。

 

それに普通は背の順に並ぶ意味がある時に背の順に並んでいるだけで、たとえば健康診断や予防接種の時は出席番号順(オレの出身校では五十音順)とか生年月日順とかだったし、いつでも背の順に並んでいるわけではない。この著者の赴任校ではいつも背の順でしか並ばせないんだとすれば、マイノリティがどうとか能書き垂れる前に教職員全体で頭悪いんじゃないの?

 

何事にも一定の不利益、一定の合理性があり、全員に不利益が無いようにできる場面はかなり限られる。背の高さで言えば、並んでみるまでもなく分かる話で、並んでいない時にも背の低さを感じる場面がある。それが苦痛だと言えばこの著者は解決してくれるわけ?たとえば体育の授業でバスケットボールやると、ジャンプした時の最高到達点は背が高い方が有利。小学校の時にはかなり苦痛だった。コレ解決できる?バスケットボールやらないとかは無しな。ポートボールもやったけど、結局背の高さの問題は解決しないし、ハンドボールもやっぱり背の高さの問題は解決しない。それに低学年の頃は早生まれのせいで、4、5月生まれの子と比べると、背だけじゃなく体格差、体力差は歴然だった。

 

必ず背の高さが関係する種目をやることになりそうだけど、指導要領的には。この件には関係ないけど、ベースボール型は人数少ない学校じゃ無理だな。

 

背の高さにフォーカスしているのはよくわからないけど、背の高さという自分ではどうにもならないことをテーマにすることについては、一定の都合良さは感じる。

学校の中ではほかにも成績とか親の財力・家庭環境とか、すぐにはどうにもならないことは多々ある。教師が取るべき態度は、そのような差異を差別につなげない、みんな違うけどその違いを尊重する、劣後する特徴がある子に対してはそれを克服するための考え方を身に付けさせるなどやるべきことは少なくない。

 

で、最初に戻るんだけど一言でいえば「何言ってんだこいつ。」である。

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