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いろいろやってみるにっき

なんとか自分の会社を立ち上げるところまで漕ぎ着けた、てきとーに生きている奴の日記

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5年前

misc

3.11である。奇しくも同じ金曜日。5年前のあの日、天気が良かったことを覚えている。

 

5年経っても福島産の農産物はまだ苦戦しているようである。自分は見掛けると積極的に買うようにしているが、個人の力では微々たるものである。福島県は検査体制を整えきちんと検査している。自然放射線量が多い地域から、検査なく出荷されている農産物よりはコントロールされていると考えている。

  農林水産物 - ふくしま復興ステーション - 福島県ホームページ

  産地における検査の仕組み - 福島県ホームページ

  • 福島県産の米は、産地において全ての米のスクリーニング検査を実施しています。
  • 福島県産の野菜や果物は、出荷前に県による緊急時環境放射線モニタリング検査を実施し出荷 の可否を判断するほか、産地でもスクリーニング検査を実施して出荷しています。 

http://www.pref.fukushima.lg.jp/img/portal/img_89-2_1.jpg

  

  日本地質学会 - 日本の自然放射線量

http://www.geosociety.jp/uploads/fckeditor/hazard/2011/daishinsai/20110412imai/Radiation-m2.gif

 図1.日本の自然放射線量 (GIFはここから)
[1999~2003年試料採取、2004年発表]

 

一方で、復興が進んでいる分野もある。

 

当日の話に戻す。

地震発生の14時46分、オフィスの自席にいた。縦揺れの長く続き、「これは震源に近い地域はヤバいな」と思った。窓のブラインドの揺れ方が異常だった。幼稚園児の時に遭遇して死にかけた1968十勝沖地震の時も最初強い縦揺れだった。それ以来、縦揺れだと警戒レベルが上がる。

 

ネットで震源を見るが仙台市の東方ということで、東北地方の様子が気になった。ネットだとなかなか情報がつかみにくいので、スマホワンセグNHKを見ることにした。続々と入る被害状況。津波発生によりさらに拡大する被害。

 

会社からのアナウンスよりも先に、帰れる部下は全部帰すことにした。帰宅した部下たちは、いつもよりは時間が掛かりながらも、全員帰宅できたようだ。一人を除き都内だったというのも良かった。

自分は夕方来客の予定があり、同方向の同僚から「一緒にタクシー拾って帰ろうぜ」と言われたが辞退した。このタクシー帰宅の同僚は、全員が帰宅完了するまで6時間くらい掛かったようだ。

来客は連絡があり、来訪は無くなった。しかし、もうその時点では交通機関がズタズタであることが判明しており、回復するまで動かない方が適切であると考えた。

地震早々に会社の近場のホテルを押さえ、そちらに泊まった人たちもいたようだ。

 

電話は輻輳して固定電話も携帯電話もほぼ使い物にならない。ネットは生きていたので、TwitterFacebookなどで前職時の元同僚(現時点から見て前々職)などとやりとりをしながら暇つぶし。しかし情報はネットで探すより、スマホで見ているワンセグのほうが早かった。ネットだと情報を探さなければいけないのに対し、TVは特別編成速報体制なのでこのような差が発生するのだろう。

夕食、夜食などは役員が差し入れてくれたカップ麺でしのいだ。

 

仕事をしながら徹夜をしたのだが、結局親兄弟には直接連絡が取れなかった。八戸では津波の被害があったのだが、死亡・行方不明はゼロという報道。実家は海から遠いので津波被害は及ばないのだが、死亡・行方不明ゼロが分かったのは良かった。小学校の社会科で、地域のことを学ぶための副教材があったのだが、過去の大津波についても触れられていた。その時、津波の時は全力で高台に逃げろって教わっていた。津波被害のあった地域の人たちは全力で逃げたとのことで、危なかったのはよそから移り住んだ人だったらしい。

実家方面の安否は、当時大学生だった甥が神奈川県在住で、兄と連絡が取れたとメールで確認できた。

後日帰省した時に津波被害があった場所に行ってみたが、道路の真ん中にそこそこ大きい漁船が横たわっていた。

 

結局、夜が明けて3.12早朝、普段は使わない東急が運転再開という報を知り、30分ほど歩いて東急の駅へ。通常運行ではないため少し時間は掛かったが、スムーズに横浜に着いた。ほぼ着席できていた。一方、JRの運転再開の報を聞いてJR線に向かった上司は、なかなか電車が来ず大変だったらしい。横浜よりもずっと先なので、どこかでJRを使わざるを得ないわけだが、もう少し待っても帰宅時間は変わりが無かった模様。

 

自宅に着いたら何も被害が無かった。全くである。TV裏に平積みしているCDさえ、全くなんともなかった。最悪の場合、TVが落ちている被害は想定していたのだが。普段からあまり揺れないなあとは思っていたが、地盤のおかげなのか古い鉄筋コンクリートの躯体のおかげなのか。

着替えて、信号2つ離れたマンション1Fに借りている車庫も見に行った。こちらもなんともなかった。屋根付きなので屋根から何か落ちていないか不安だったのだが。

 

月曜日は朝から広島出張だった。新横浜の新幹線駅は東京方面に向かうサラリーマンで長蛇の列。切符を買うための列だった。手元に切符があってよかった。そうじゃなければ乗り遅れるところだった。広島ではまるで違う国のようになにも問題は無かった。しかし、広島から会社への電話はなかなか通じなかった。会社から自分の携帯電話には架かるのだが。メールで連絡して電話で折り返してもらうという面倒なことになっていた。

 

ほとんど当日のことをつらつら書いただけなので、終わり方が難しい。普通ではない防災の備えについて書いて終わる。

結局あの日役に立ったのはネットやソーシャルメディア、そしてワンセグだった。自宅で停電無しならワンセグは不要かもしれないが、出先ではワンセグは手っ取り早く確実に情報を入手できる。防災的観点でも、なにかワンセグを見ることができるような装備はしておいたほうがいい。