今週のお題特別編「嬉しかった言葉」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉
褒められた時の言葉とか感謝の言葉とか色々考えてみたけど、なんか印象が薄い。色々思い出してみたけど、1エントリ書けそうな気がしない。
そういうわけで、一番残っている≪注意された言葉≫を書いてみたい。
1996年、プロジェクトの都合で遅い夏休みとなった初秋、母が奈良に行きたいという事で車で奈良や京都を廻った。簡単にいえば運転手兼荷物運びである。宿泊先はオレの小学校の時の同級生の家。正確に言えばオレは同級生との交流は無くなっているのだが、母親同士はずーっと交流が続いていた。母の友人であるおばさんは、転勤族の旦那さんと一緒に全国色々な所に移っていて、その時は丁度奈良にいたのだった。
そして経緯は良く分からないが、奈良の有名なお寺の偉いお坊さんの一日運転手を務めることになった。奈良の有名なお寺を上げていったら、3つ目までに名前が出るようなお寺である。
お迎えに行き、お坊さんを乗せ一日色々なお寺などに行った。同乗者は母とおばさん(母の友人)。計4名での移動であった。当時はナビを装備していなかったので、道を間違わないよう、行先を言われたら1分くらいで地図を頭に入れて走ったことを思い出す。
車中では色々な話をした。振られた話にもきちんと参加したし、お坊さんに色々聞いたり、以前にも書いたが当時はお隣の国のプロジェクトにいたのでその話をしたりと、きちんとコミュニケーションを取っていた。
そんな感じで一日終わって送り届けたあと、ちょっと来いと言われてお坊さんと2人だけになった時に言われたのが、
「人間嫌いを直しなさい」
である。なぜ分かったwwww。さすが大きなお寺の偉いお坊さんである。お見通しだったのだろう。未だ直せていないけどな。
そんな指摘をされたことは後にも先にもその一度だけである。親にも上司にも言われたことが無い。生来の面倒臭がりなので会話をするのは億劫なのだが、しゃべれないわけじゃないし、というか仕事の上ではトップシェアを2つほど作れたくらいにはコミュニケーション能力はある。
いろんな注意を受けてきた人生だが、これほど正鵠を射る言葉は無かった。未だ直せていないが、自分という人間を理解されたという意味で非常に嬉しい言葉でもある。
ちなみにこの一日運転手、ご褒美があった。障壁画をたった一人でゆっくり見させてもらったのであった。