いろいろやってみるにっき

てきとーに生きている奴の日記

古いエントリのサムネイル画像がリンク切れになってたりするけど、チマチマ修正中


効率を求めても仕方ない

ごめんなさい感謝されるほど勤労してません(挨拶)。いやまあ本当に。

 

最初に書いておくけど、トラックバック打てないはてなブログはクソ!いやクソとか書くと言葉が汚いのでうんこに訂正しておく。うんこうんこー。

 

勤労感謝の日なので勤労がらみの事を書いてみる。新人に伝えてる、当たり前の「効率化」の話 - SwatzLabo ブコメに「出た効率厨。効率好きの人間に限って間違ったことも効率よくこなすから被害甚大w効率よりも効果だろ。」って書いたけど、オレは効率好きな奴は死に絶えればいいと思っている。そういうわけで、以下の記述はライフハックwには全く役立たない。

 

まず、元記事が業務における話なので生活一般ではなく業務の局面に絞って考える。業務における判断基準が「効率」である人間像をプロファイリングすると、単なる作業者。これは役職によらない。どんなに役職が上でも、作業(job,work)をやってる人。ビジネスはやってない。

もちろん新入社員やアルバイトにビジネスを任せる場面は少ないので、手元の作業をグズグズやるよりは効率よくこなす方が好ましい。しかしだ、「効率」だけで業務が改善するのは単純作業だけ。それに効率を求めることで改善するなら、人間がやるよりも機械にやらせたほうがいい。

ということで「なぜ業務を効率化しなければならないか」をブレストする。相手に問い、相槌を打ちながら、その思考を深めていってもらう。

別にここに答えは求めない。状況によって異なるからだ。話を徹底的に聞き出した後、あなたが思ってる答えを参考までに伝えてあげよう。

営業であれば売上を最大限高めるために、訪問回数を増やすなり、質を高めるために必要だ、といった話だろうか。開発者であれば限られた短い期間の中で高い生産性を出すために、無駄なことはやらないとか、なんでもいい。

元記事の人が何をやっている人なのかを興味が無いので調べずに書くけど、この部分だけでも(´Д⊂ヽという感じ。逆に問いたい「なぜ業務を効率化しなければならないか」。 その効率化は必要なのか?

 

日本の企業の場合、ジョブディスクリプション(職務記述書)が無い場合が多い。どこからどこまでが職務範囲で、職務に掛かる目的、目標、義務や責任、権限の範囲が明確でないということになる。

効率をものすごく重視している。限られた命ゆえ、無駄な時間は省きたい。

その効率化に関することを、後輩でもあるアルバイトに話をする内容をメモがてら書いておく。後輩や部下に話す時なんかに参考にしてもらえればうれしい。


人生の先輩方からしたら当たり前のことだと思うので、読み流していただければと思う。よければ後輩に「読んどけよ」とお伝えください。

お伝えしません。当たり前じゃないし。つまり業務指示をする側がジョブディスクリプションを示していないのに、効率化求めちゃうの?そりゃ手抜きで効率化一丁あがりじゃん。東海村臨界事故とか雪印事件とか、効率化の成果ですね。ミッションクリティカルであればあるほど、二重三重に確認が入るし手順もできる限りフールプルーフやフェイルセーフが入れてある。効率化の名のもと、個人に勝手に変えさせちゃだめ。ミッションクリティカルではない業務にしても、勝手に効率化することでリーガルリスクが増大したり、レピュテーションリスクが増大する例は多い。例えば入出金のエビデンスを一つ抜いただけで納税の時に困ったりとか。

 

一方で、日本式のジョブディスクリプション無しの形態にもいいところはある。トヨタ風に言えば「カイゼン」ができる。ジョブディスクリプション有だと、個々の従事者やその所属組織が勝手に判断できる余地は少ない。判断の余地を極小化するためにジョブディスクリプションを書いているという面もあるし。ジョブディスクリプションが無い場合、個々の従事者や従事者間、所属組織で職務内容を改善することが可能。ただし、ここで言う改善は「効率化」一本であってはならない。先に書いたように効率化であれば、人間に求めるよりも機械化するほうがより効率的。それよりもブコメにも書いたように、「効果」を求めるべき。効果を得るための一つの手段としての効率化はあるが、その逆は無い。

 

効果とは何か?

1 ある働きかけによって現れる、望ましい結果。ききめ。しるし。「薬の―が現れる」「宣伝―」「―覿面(てきめん)」
2 演劇・映画などで、その場面に情趣を加える技術および方法。雨音・風音・煙・雪など。エフェクト。「音響―」
                           ─Goo辞書から引用

単なる作業従事者には分からないかもしれないが、ビジネスを成功させる成長させるためには部分的な効率化は寄与率が低い。俯瞰で見た時にその業務をやるべきかどうか、やるのであればどうあるべきか、抜けているもの足りないものは無いのか、など様々な視点が必要。

 

経験則は嫌いだが、一応自分の経験談

元々はインフラ系のシステムエンジニア出だが、プロジェクト全体をオーガナイズする立場(プロジェクトマネージャやアーキテクト)になると、アプリケーション仕様決定もコントロールすることになった。お客さんと業務仕様について会話していて困ったのはWhatとHowが一緒に出てくること。我々が聞きたいのはWhat。何をしたいかを知りたい。アーキテクチャを大きく変更するプロジェクトなんかだと、Howを指定されると困ることもある。しかも、大体WhatとHowをごちゃまぜにする人に限ってWhatがきちんと整理されてない。体系化されてない。我々からすると過不足が分からない。そしてここで急に話がつながるが、Howに効率がいい悪いが混ざってくる。ごく狭い範囲で効率を求めても仕方ないじゃんということを、オブラートに包んだ上にカプセルに入れて話すが、そんなに包んじゃうと「思い付きの効率化の話よりも、実現すべきことをきちんと話せ」というのが伝わらない。発注者と受注者の関係なんてそんなものです。実に効率悪いw。ここで効率を求めてストレートに言うと、怒られたりするので注意。理不尽だけどさ。

 

というわけで、自分が言うなら「効率よりも効果、効果を出すためには俯瞰で見ろ」だな。オレからすると効率好きは、ハンス・フォン・ゼークトが言ったとか言わないとかのゼークトの組織論でいう

無能な働き者。これは処刑するしかない。
理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすため。

に該当する。これには大いに賛成する。

 

旗日なので。

国旗(日章旗)

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